“それ”は在る

“それ”は在る

 

あなたが<それ>だ。愛だけを見続けること。聖なる無関心。『“それ”は在る』ヘルメス・J・ジャンプ/著より引用。

 


【参考】

『“それ”は在る』

ある御方と探求者の対話

ヘルメス・J・ジャンプ/著

ナチュラルスピリット

初版:2013年5月17日

第2版:2013年6月7日

 

画像については、書籍の内容を参考に作成したものです。

それ以外の追加情報については、参照元を個別に記載します。

 



●あなたが<それ>だ。

<在る>時、

全ての音が聴こえ、

同時にまた全ての思考や感情に気づく。

それは、集中することで我を忘れることではない。

それは何かに向かうことではなく、

むしろ受身でいることなのだ


ゆったりとリラックスして、

ただくつろぐのだ。

そしてただ、胸の中心から

何が出てくるか感じていてごらん。

感じようとせずに、

ただ静かにしていることで感じるのだ。

 

しばらく、そのまま沈黙して、

ただただくつろぐのだ。

それだけで、全てが解放される。

自然に解放が起きる。

 

その胸から、

あるいは突然あなた全体を包み込むように、

至福がやってくるだろう。

 

それは胸から爆発するように強烈なものかもしれない。

あるいはじんわりと、

なんとも表現しがたい繊細さで広がってくるものかもしれない。

 

どのような形であれ、それは来る。

来ないことはあり得ない。

なぜなら、それは本来のあなた自身だからだ。

 

ただ、誤った<私>に意識が向いているがために、

感じていないだけなのだ。

だから、全てを手放して、ただ<在る>でいてごらん。


存在は、

愛は、

真理は、

どこへもいかない。

あなたが<それ>だ。

<それ>であることを自己認識するために、

あなたではないものを全て放棄しなさい。
<在る>

ただ<在る>

ただあるがままに<在る>

それだけだ。

それだけなのだ―。

 


●愛だけを見続けること。聖なる無関心。

 

幽霊を見た人は、幽霊が存在するという観念があるから、幽霊を見たのだ。なぜなら、幽霊は、幽霊を見た人の世界の登場人物に過ぎないのだから。

 

幽霊を見た人は、『自分には幽霊が存在する、という観念があるのだ』とその事象によって気づくべきである。

 

そしてどうするか。

無視するのである。

それは、存在しないのだから。

 

もはや、それを意識して、その観念を強化せず、ただただ無視して現実世界を見るのである。ただただ無関心により、観念を解除するのである。

 

それにより、自身も、また相手である幽霊も、共に解放することができるのである。共に真実に帰るのである。

 

この一例は、とてつもない真実を含んでいる。なぜなら、これこそが、イエスが教えている内容そのものだからだ。これが真の〈赦し〉だからだ。

 

これが、世界を救う唯一の方法だからだ。

観念を強化せず、無視して、ただ〈在る〉。

 

だが無視は、冷酷非礼な無視ではないよ。

 

愛なのだ。

愛ゆえに、愛だけを見ることなのだ。

愛だけを見続けること。

愛だけを選択し続けること。

 

真実だけを見続けること。

真実だけを選択し続けること。

 

これが聖なる無視、聖なる無関心と呼ばれているものである。

これが最大の教えである。

 


●瞑想と日常は一つとならねばならない。

 

一日二日でどうにかなる問題ではない。

 

だが、より〈気づき〉の時間を多くしなければ、これらの古い観念が消え去ることはないだろう。

 

知的に、『私は身体ではない』と理解するのはいいことだ。そして体験を深めるのもまた大切なことだ。

 

だが、常に注意深く、自分自身の観念を観照し続けるのはもっといいことだ。またそれが、体験を深めていくことになるだろうから。

 

ただ静かに座り、瞑想してその静寂に身を委ねるのは必要不可欠である。それは大切だ。だが、その状態ではなかなか根深い観念は現れてこない。

 

それは無意識に隠れたまま、出番を待ち続けている。その出番とは何か。

 

それが日常である。

日常の生活の中にこそ、自分自身にどのような観念があるのか、自分はいったい何を真実だと思い続けているのかを、明確に知ることのできるチャンスがあるのである。これを忘れないようにするがいい。

 

瞑想と日常は、共に必要であり、両者は一つとならねばならない。

それは、常に〈在る〉でいるということだ。

 

観念が現れたら、ただ自分にそのような観念があることを認め、そして手放していきなさい。あなたにできることは、気づくことだけだ。そして、手放そうと決断することだけだ。

 

それが〈在る〉だ。

それが聖なる無視、聖なる無関心だ。

 

ただ、自分が何を信じているか、自分にはどのような観念があるか、に気づき、それを手放そうと思い、そして〈在る〉に留まりなさい。

 


●賢者は意図的に〈在る〉

 

通常の人間の状態でも、ただぼんやりと無思考でいる時、例えば青空に浮かぶ雲をぼんやりと眺めている時などは、その無にくつろいでいる。

 

どんな境界線もなく、我を忘れて一つとなり、ただただ存在している。

 

〈私〉が消えることを意識的にしようが、無意識に〈私〉を失おうが、存在そのものは同じである。状態そのものには変わりがない。

 

賢者はよく言うだろう。あなたと私は何も変わりがない。まったく同じものだ、と。悟ったからといって別人や超人になるわけではない。

 

賢者は、意図的に〈在る〉。

そこには完全な平和と安らぎ、そして至福と幸福があるからだ。だが誤解しないでもらいたいのは、賢者はその至福と幸福で自己満足するために〈在る〉のではない。何よりもその行為こそが世界に平和をもたらすことを知っているからだ。

 

すでに話したように、〈在る〉ことは自身を解放することであり、同時に、世界の全てを解放することである。賢者は、常に〈赦し〉ているのである。〈在る〉ことは完全なる神の実現なのだ。

 


●聖心(ハート)。それが真のあなただ。

 

『私とは聖心(ハート)であり、愛であり、至福であり、〈真我〉である』

 

と知ることになる。そのためには、眠りではなく、目覚めている状態の中で、〈在る〉に消え去らねばならないのだ。

 

だから、ただ在りなさい。〈在る〉ことの偉大さに気づきなさい。

 

聖心(ハート)。それが真のあなただ。

 


ここで紹介する内容は、すべて下記より引用しています。

【参考】

『“それ”は在る』

ある御方と探求者の対話

ヘルメス・J・ジャンプ/著

ナチュラルスピリット

初版:2013年5月17日

第2版:2013年6月7日

 

画像については、書籍の内容を参考に作成したものです。

それ以外の追加情報については、参照元を個別に記載します。

 



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