ブッダ 〜この世で一番美しいものがたり

ブッダ

 

梵天の勧請によりブッダの心の中には生きとし生けるものへの慈悲の気持ちが表れ、人々に道を説き始める。人生の苦を認識し、苦と向き合ってきたブッダが最後に到達したのは「この世は美しい」という最終的な心境だった。『ブッダ』〜この世で一番美しいものがたり〜立松和平/著より抜粋。

 


以下の紹介内容は、すべて下記より引用しています。

【参考】

『ブッダ〜この世で一番美しいものがたり

立松和平/著

発行所:PHP研究所

2004年8月6日 第1版発行

 

それ以外の追加情報については、参照元を個別に記載します。

 




ブッダと同じ程度の認識を果たし、宗教的に高い境地を獲得した修行者が、過去にもいたのではないかと、私は空想する。もちろんその空想には何の根拠があるわけではないのだが、ブッダの心は危うい位置にいたのである。このままブッダが嫌世的な心持ちでいたとしたら、今日二千五百年の時をヘだてて私たちのところに伝わっている仏教は、たった一人の心の中に宿り、刹那のうちに消滅していたのだ。



ブッダのさとりが人々を救うことを説いた梵天の存在

 

この時、ブッダの前に<世界の主>と呼ばれる梵天(ぼんてん)が現れる。梵天とはブラフマンである。ブラフマンとはインド哲学における万有の原理のことで、その真理を神格化し、ブラフマン神と呼ばれる。色界の禅天の主であり、インドラ神(帝釈天)とならんで諸天の最高の位置を占めると、仏教ではされている。大梵天とも、梵天王とも呼ばれ、帝釈天とともに仏教の守護神である。


ブッダはこう考えていた。自分のさとった真理はあまりにも微妙で、深く、理解するのは簡単ではない。こうして命を失うほどの修行をし、ようやく得た真理を、再び苦労して無知な人々に説いても、理解されず、無益なだけではないか。自分自身はすでにさとりの境地にはいったのだから、このまま一人でさとりを楽しんでいればよい。


ブッダの心の中を知った梵天は、このように思う。

こうして正しい真理をさとった人が、そのさとったことを人々に伝えようともせず、自分一人のものにしようとするなら、この世は滅びるだろう。なんとかしてブッダにその認識の内容を、人々に向かって語ってもらわなければならない。そうしないと、人々は永久に救われないだろう。


危機感を覚えた梵天は、あわてて地上に降り、ブッダの前に現れた。<世界の主>は右の膝を地面につけ、ブッダに向かって合掌礼拝して言ったのだった。

「尊い人よ、どうか人々に真理の教えを説いてください。世の中には欲望に汚れきった人々が多いのですが、中には汚れていない人もたくさんいるのですよ。その人々をお救いください。彼らは正しい教えを聞けば真理をさとることができ、聞かなければいつかは汚れにそまってしまいます」


梵天は懸命に説いたのだが、静かな瞑想の中にあったブッダは黙っていた。梵天はなおも勧請(かんじょう)した。

「このマガダ国にあるのは、汚れたものどもが説く汚れた教えばかりです。あなたは清らかな汚れのない教えを得ました。山の頂きに立って四方の人々を見下ろすようにしながら、あなたは真理の頂きに立ってください。ご自分は深い憂鬱の中におられるかもしれませんが、生老病死の憂いと苦しみにとらえられている人々に、その苦しみから逃れることのできる真理を説いてください」


梵天にこう言われたブッダの心の中には、変化が少しずつ表れた。自分がこうして苦行の果てに明るい真理の世界に到達したのは、かつて自分がとらわれていたような生老病死の苦しみから、人々を解き放つためではないのか。自分だけが救われるためではないのではないか。そこでブッダは考えていたことを梵天に語った。


「梵天よ、私のさとった真理はあまりにも深奥で、微妙で、難解であり、苦しみの中でただもがき苦しんでいる人には理解されそうもないのです。暗黒の中でいたずらに苦しんでいるだけの人には、見ることができません。無益なことを、私はしたくない。私が得た教えを説法し、人々に伝えていこうとは思わないのです」


ブッダはこのように言うのだが、梵天は人々に道を説いてくださいと言うばかりである。こうして梵天の勧請により、ブッダの心の中には生きとし生けるものへの慈悲の気持ちが表れる。



ブッダとともに大きな岐路に立った仏教

 

たとえ自分自身が真理をつかんだと思っても、その内容を客観化して言葉で伝えられないのなら、人類普遍の真理とはとてもいえない。主観的な思い上がりにすぎないかもしれないではないか。それを決めるのは、やはり他人なのである。仏教が一修行者の認識に終わるか、世界宗教へと育っていくかという岐路に、今ブッダは立っているのであった。


それではブッダは五人の比丘に何を説いたのであろうか。一般的には、中道(ちゅうどう)と八正道(はっしょうどう)について説いたのだといわれている。ブッダの説法の内容を、私なりに会話体で書いてみよう。


「修行僧たちよ。我々修行僧が行なってはならないことは、極端ということだ。極端には二つある。その一つはなんであるか。もちろん快楽に溺れ、欲望のままに生きることである。もう一つはこの欲望を嫌うあまり、自らを苦しめ、一切の欲望を断ち、苦行のほかに価値を持たないことである。この二つの極端のどちら側にいっても、真理の道をいくことはできない。二つの間の中間をいけば、あらゆる真理をさとることができ、正しい道を歩むことができて、この上ない安らぎの世界であるニルヴァーナに至ることができるであろう。だがどこからでも真中の道、中道の道をいくのは、それほど簡単ではない。


修行僧たちよ、この上ない安らぎの世界であるニルヴァーナに至ることのできる中道とは、なんであるか。それは八つの正しい道によって得られる。正しい見解、正しい思惟、正しい言葉、正しい行ない、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想である。これが真理探究者のとった道なのだ。


苦しみ>という聖なる真理は、主に次の四つから生じる。生まれることが苦しみであり、病気になることが苦しみであり、病気になることが苦しみであり、死ぬことが苦しみである。これは八つの正しい道に基づかず、生に執着しているからこそ苦しみが生じる。執着には、貪りがともなっている。


苦しみの止滅>という聖なる真理は、妄執を完全に離れ去ったことによる止滅である。これは捨て去ることであり、こだわりのなくなることである。


苦しみの止滅に至る道>という聖なる真理とは、八つの道をいけばよいのだ。すばわち、正しい見解、正しい思惟、正しい言葉、正しい行ない、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想である。


このように聖者の生活をすれば、これまで聞いたこともない法に関して、眼が生じ、認識が生じ、光明が生じる。こうして、苦しみは止滅される。」



自らを頼りとして法を頼りとして生きる

 

ブッダは病から回復すると、家からでて、樹の下の座についていた。アーナンダはブッダのところに近づいていき、礼拝してから、こんな意味のことを言った。

「尊師が御病気で臥せっている間、私はぼんやりしてしまって、西も東もわからないほどでした。どんな教えを聞いても心が虚ろで、自分のものになることはありませんでした。私は自分がどうしてそんなになってしまったのか、よくわかりませんでした。しかし、今やわかります。それは尊師が御病気になられたからです」


アーナンダはブッダに泣き事を言ったのである。するとブッダはアーナンダをさとすのであった。

「アーナンダよ、お前たち修行僧は私に何もかもを期待してはいけないよ。私はお前たちにすべての教えを説いた。何も隠しているものはない。すべてを明らかにしているのだよ。だからこれ以上私に期待してはいけないのだ」


ブッダが言うのは、何も隠していないということだ。奥義や秘伝というものはない。説くべきことはすべて説いたのである。また真理というものは隠されているわけではなく、そこいら中に露になっている。そのことを感じる力がなければならない。もっと教えられていないことがまだあるだろうと思って、あれこれ詮索してはならない。ブッダはすべてを説いたのだ。これまでの説法が身に付いていれば、アーナンダは生きていけるはずだとブッダは言うのである。


ブッダは八十歳の高齢になっていた。間もなく老い朽ちることに間違いない。諸行無常とはすべてのものは滅びるという真理なのであって、ブッダだけがそれをまぬがれるということはあり得ない。たとえば自分の身体は、革紐であっちこっち縛ってやっと走ることのできる車のようであるとブッダは言う。ブッダの身体は革紐の助けによってようやく保たれている。その革紐とは、たとえばアーナンダのことなのである。


「自らを頼りとして、法を頼りとして、これからは生きていくのだよ」


ブッダが示すのは、「自灯明、法灯明」のことである。もしくは「自帰依、法帰依」ともいう。自らを灯として、教えを灯として生きていきなさいということだ。


これは自分の生身がそろそろ尽きるころであると、ブッダ自身が告白しているのである。自分がなき後も、これまで説いてきた法が足下を照らすであろう。その法を身におびた自分自身を頼りとして、生きていきなさいと愛弟子に説いているのだ。

 


苦の認識からはじまったブッダ心の旅


ブッダはチャーバーラ霊樹の下の一方に座し、アーナンダは師に礼拝してからもう一方に座した。その時、ブッダはアーナンダにこう言ったと伝えられている。


「ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹の地は楽しい。ゴータマカ霊樹の地は楽しい。七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい。バフプッタの霊樹の地は楽しい。サーランダダ霊樹の地は楽しい。チャーパーラ霊樹の地は楽しい」


最晩年になり、病にかかって、近づいてくる死の足音をすぐそこに聞いているブッダのたどり着いた境地が、ここに語られている。世界はすみずみまで美しいと、ブッダは弟子に語っているのだ。この澄み切った平明な境地が、ブッダの到達した心境である。


ブッダが真理探究の旅を心の中ではじめたのは、まず苦の認識からであった。人はどうして生きていかねばならないのか。人はどうして老いるのか。人はどうして病にかかるのか。人はどうして死ぬのか。この四苦の認識こそが、ブッダの心の旅の一歩であった。そしてたどり着いた真理が四つのしめくくり、諸法無我、一切皆苦、諸行無常、涅槃寂静の四法印である。この根本認識とは、人生は苦しいということだ。


太子として生まれたゴータマ・シッダッタは、生まれながらに栄華に包まれ、誰が見ても幸福であった。しかし、その幸福の中に、人が宿命として持っている不幸の種を見てしまうことが、苦の認識へとつながっていく。ゴータマ・ブッダは覚醒した人なのである。


諸法無我とは、万物を支配する真理の中に、「私」は何処にも存在しないという認識だ。私たちが大切にしている自分の命には、永遠ということはない。若さはたちまち老い、健康だった人は病におかされ、必ず死に至る。富も消滅する。この移ろいの中で、「私」という存在は因と縁によってつくられる現象にすぎなのだから、つきつめると何処にも存在していないということになる。これが苦の認識の第一歩である。


一切皆苦とは、諸法無我であり諸行無常にさらされている私たちは、移ろいの苦しみの中にあるということである。若さの中や富の中に安住しようとしても、それは不可能だ。やがて人には必ず、死という離別がやってくる。これが悲しくないはずはない。人生は苦に満ちているということである。


諸行無常は、現象というものは因と縁とによってでてくるのであり、縁はつねに移ろいゆくのであるから、時はとどまるところはないという認識である。時は失われ、若さは老いとなり、病は死に至る。これも苦の認識だ。


涅槃静寂とは、完全なさとりによって、苦しみの人生は完成するのだという認識である。ブッダの生涯とは、四つの真理の認識と、その実践についやされたといってもよいであろう。つまり、苦とどのように対峙していけばよいかということである。


このように人生の苦を認識し、苦と向き合ってきたブッダが最後に到達したのが、「この世は美しい」という最終的な心境だったのである。ブッダはどんな土地を見ても、美しいと感じたのである。これを全肯定の平明な目とでもいうのだろうか。


ブッダの目は美しい。全肯定の目は美しい。人生の出発点と終着点と、完全に矛盾するような境地ではあるのだが、その間には長く苦しい遍歴が隠されているのだ。



すべてのものを肯定する


ブッダはアーナンダに向かって、ヴェーサーリーは楽しい、ウデーナ霊樹の地は楽しいと、身のまわりのすべてのものを肯定してから言う。


ここでいう四神足(ししんそく)とは、欲神足(すぐれた瞑想を得ようと願うこと)、勤神足(すぐれた瞑想を得ようと努力すること)、心神足(心をおさめてすぐれた瞑想を得よとすること)、観神足(智慧をもって思惟観察してすぐれた瞑想を得ること)であり、さとりを得るための実践修行法、意欲、思念、考察のことである。


「アーナンダよ、修行を完成した如来は、四つの不思議な霊力である四神足を完全に修し、家の土台のように堅固なものとして完全に実行し、さとりを見事になしとげた。そのような如来ならば、寿命のある限りこの世にとどまることができるし、もし望むならば、それ以上にとどまることができる」

ブッダはアーナンダにこのような意味の言葉を三度くり返したとされる。



著者あとがきより抜粋


その時その時のブッダの肖像を追い求めてきた結果感じることであるが、苦悩するブッダも、道を説くブッダも、いつも愛に満ちている。ペンを走らせてきた私にも、その愛は確実に伝わっているという実感がある。できることなら、本書を読んでくれた人にもブッダの愛が伝わりますようにと、私は願うものである。


2004年 立松和平



以上の紹介内容は、下記より引用しています。

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『ブッダ〜この世で一番美しいものがたり

立松和平/著

発行所:PHP研究所

2004年8月6日 第1版発行

 

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