愛・慈悲・仁

愛・慈悲・仁


「愛・慈悲・仁」の意味について、大辞林と岩波キリスト教辞典から抜粋していますが、よりよい説明文を見つけた際には、あらためて追記・修正します。



大辞林より「愛・慈悲・仁」

この内容は全て下記から引用しています。

『大辞林』

松村明/編

発行所: 三省堂

発売日: 1988年11月3日(初版)

1989年3月1日(第7版)


最新版は下記です↓




【愛】


①対象をかけがえのないものと認め、それに引きつけられる心の動き。

また、その気持ちの表れ。


(ア)相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。

(イ)異性に対して抱く思慕の情。恋。

(ウ)何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち。


②キリスト教で、神が人間を限りなく深く慈しむこと。アガペー。


③仏教で、人や物にとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛。


④他人に好ましい印象を与える容貌や振る舞い。あいそ。あいきょう。



【慈悲】


①仏教で、仏・菩薩の衆生をあわれむ心。

楽を与える慈と苦を除く悲という。


②いつくしみ、あわれむ心。また、情け深いこと。



【仁】


①己に克ち、他に対するいたわりのある心。

儒教における五常の一。


②愛情を他に及ぼすこと。いつくしみ。おもいやり。


③〔仁を行なう人の意から〕ひと。かた。



岩波キリスト教辞典より「愛・慈悲・仁」

この内容は全て下記から抜粋しています。

『岩波キリスト教辞典』出版社: 岩波書店 (2002/6/10)


 

愛【日本】〔黒住真/著〕


漢語・和語では、「いつくしむ」「親しむ」「かわいがる」「睦む」、また「大切にする」「賞美する」「慕う」、さらに「世話し育む」などを言い、人や物のあり方・価値を認め,これについてよろこび一体化し、またその促進をはかることを意味する。


それが人の生の奥底から発しまた対象そのものに聞わって志向され,自他間にいわば実存的な作用と生産をもつ心意・情意である点で単なる認知とはことなり、価値を帯びて尊ばれる。


和漢の用法では,人と物、男女の聞に使われるほか、親子間とくに長上.・親などの小なるものへの慈しみやその生を育む気持・態度に使われる。


儒教(孟子)では、幼児の難を見過ごせず救おうとする心を「惻隠そくいん」(共感、思いやり)の端初とし、それがさらに多くの人々の救済・福祉の意思へと汎化され拡充したところに「仁」を捉える。


仁は愛ないし愛の理想形とされ、存在者を育む天地の生意に即する天人調和の徳性だともされる。ただ「天の恵(思・生意・仁)」はいわれても「天の愛」をいうことが少ないのは、

儒教的「天」においては人格的な弁証法が希薄だからであり、それは人における愛が身近な生命感情の磁場を離れないことにもつながる。


墨子の「兼愛」は,儒教的な仁愛が自己の周囲の特殊的利害に囚われたものであるとして、天の尚同の観点からみた愛を説く。


仏教では、人間的愛を、衆生の内奥に慟く生の衝動・執着の本質として「渇愛」ととらえ、執着を越えた普遍的次元の愛として「慈悲」を説く。この場合は、上り高次から下位・被救清書に注がれるあわれみ・いつくしみのニュアンスを帯びるが、大乗仏教での観音・阿弥陀などの慈悲では、衆生への感情的な一体感が強調される。


キリシタンにおいては「ご大切」などの概念が神の愛を衷す。おそらく、当時の「愛」概念に含まれた愛着性、否定性を越え、キリスト教的神の愛が上位からの人格的な尊重であるというニュアンスを求めたのであろう。


近代においては、慈悲や愛着の意が次第に忘却されるとともに、愛がloveの訳語として一般化したが,曖昧なまま安易に流通しており、必ずしも神の愛,愛の人格性などがとらえられているとは言えない。



岩波キリスト教辞典より愛に関する歴史的概観

この内容は全て下記から抜粋しています。

『岩波キリスト教辞典』出版社: 岩波書店 (2002/6/10)


 

愛 〔宮本久雄/著〕


キリスト教は愛の中心をアガペー(神愛)として世界に示している。そのアガペーの性格を際立たせるため、愛の諸相を通時的歴史的に概観する。


旧約にあって愛はまず神からイスラエルの民に選びという仕方で一歩的に注がれる〔申7:6-11〕、預言者はこの神愛を夫の妻に対する夫婦愛にたとえている〔ホセ3:1; イザ62:5など〕次に民から神への愛が”律法遵守”という形で求められる〔申6〕。この神愛はイスラエル同胞への隣人愛として発露する〔レビ19〕。


他方イスラエルの背信にあい義と愛の間に苦しむ神の姿が示される(ホセアのいう憐れみなど)。旧約はその他にダビデとヨナタンの友情や雅歌の情熱愛のような人間愛を描く。


新約にあってアガペーはキリスト(の生涯)に結晶化して示される。彼は罪人である人間の義化のため死に至るほどの愛を示した〔ロマ5:5-10; ガラ2:20以下〕。この愛はユダヤ教的同胞愛を越えてあらゆる人々を隣人とする共同的力である〔Ⅰヨハ4:7-21〕。

それは敵にも及ぶ〔マタ5:43以下; ルカ10:25以下〕。親睦の食事〔ユダ12〕や夫婦愛〔エフェ5:21以下〕もアガペーの具現である。


以上の聖書が啓示する愛に基づき、ギリシャ哲学や東方の宗教・諸文化と交渉しつつ

愛の諸相の歴史が展開する。


キリスト教はギリシアから友情(アリストテレスのphilia)とエロースを学んだ。その場合エロースは恋愛の情熱ではなくむしろ神的イデアへの哲学的情熱をさす。教父にあって神と人間の愛の交流は雅歌注解を通し神秘主義的次元にまで高められた(オリゲネス、ニュッサのグレゴリオスなど)。その際も教会共同体の神愛的次元は強調されている。


また神愛を中心に隣人愛にひろがる「愛の秩序」の概念も強調された(ニュッサのグレゴリオスやアウグスティヌス)。またエウカリスティア(聖餐)や結婚が神愛のサクラメントとして実行されていく。


中世期の西欧では,聖俗を問わず大いに愛がうたわれ始めた。聖の領域てはクレルヴォーのベルナールの雅歌講話、サン・ヴィクトールのフーゴーの『愛の賛歌』アベラール(アベラルドゥス)とエロイーズの愛の書簡などが愛を語り、俗の領域では、トゥルバドゥールの恋愛詩歌や『トリスタンとイズー物語』などが恋愛のモデルを示した。


神秘主義においては,アッシジのフうンチェスコの愛の精神を継承するフランシスコ会で主意上首的神学が発展し、またドィッでは神との結婚を説く愛(ミンネ)の神秘主義も生まれた。後にスペイン神秘主義も神愛をうたう(十字架のヨハネの『霊の賛歌』)。


ルネサンス期以降フィチーノによるブラトン的哲学的エロースが紹介されたり、宗教改革期にあってルターは義認の意味で霊魂がキリストの所有となる花嫁神秘主義を語るなど、中世期にはみられない新味が示された。


愛の理解の多様化は近代的人間像の複雑多様化と並行する。パスカルやキルケゴールは愛を人間の実存的契機とし,ベルクソンは〈生命の躍動〉の開花である「動的宗教」の中でも、仏プロティノス的知的神秘主義やインド的な瞑想を超える使の神秘主義を至上とした。


また恋愛文学も使が近代人の成熟に与えるダイナミズムを示した。しかし20世紀の様々な西欧文化の挫折を経ると、愛の不毛が強調されてくる。サルトルは男女愛の受肉の挫折を説き、フロムは使の技芸(the art of loving)において不毛とされる愛の熟成の方法を示さなければならなかった。また精神分析学は、愛の体験の挫折がもたらす病理学的形態を暴露した。


経済的支配や政治体制の相違が戦争やホロコーストを招く現代にあって、抑圧された人々の解放や奉仕(マザー・テレサ)や人権・男女差別が問題とされている。


こうした状況に直面してアガペーの本来的ダイナミズムの発現が期待されている。同時に偉大な宗教における愛(仏教的慈悲、東洋的仁愛など)との相互的協調と交流が切実に求められている。



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