聖フランシスコ-アッシジの光

聖者伝説

 

自然を愛し清貧に生きた聖人アッシジの聖フランシスコ(10月4日聖フランシスコ(アッシジ)修道士)『聖者伝説―365日、あなたを守護する聖人たちのものがたり』(聖人カレンダー付き)から引用。

 


以下の紹介内容は全て下記から引用しています。

『聖者伝説ー365日、あなたを守護する聖人たちのものがたり』

Legends of Legends

(聖人の日カレンダー付き)

 

出版社: 学習研究者

詩・絵:茅 真為

発売日: 1995年12月25日 第1版発行

 



10月4日 聖フランシスコ(アッシジ)修道士


聖フランシスコ(アッシジ)修道士(1182-1226)


イタリア、アッシジの裕福な織物商の息子として生まれた聖フランシスコは、享楽的な青年時代を送っていたが、あるとき神の声を聞き、修道生活に入った。フランシスコは、彼のもとに従ってきた青年たちとともに「小さき兄弟会」を設立し、これがのちに「フランシスコ会」と呼ばれるようになった。彼らは何物をも所有せず、人びとのほどこしを求めながら神の愛を説いてまわった。彼は晩年、聖痕をそのからだに受けている。



自然を愛し清貧に生きた聖人 アッシジの聖フランシスコ


フランシスコはイタリア、アッシジの裕福な織物商人の息子として生まれました。彼は生まれつき陽気な性格で町中の若者たちの人気者でした。父親のペルナルドーネは息子にぜいたくな暮らしをさせ、フランシスコは毎日のように、仲間と豪華な宴会を開いたり、町に繰りだして乱痴気騒ぎをしたりと、思いつく限りの遊びを楽しんでいました。


フランシスコが生きた時代は中世の戦乱の時代でした。彼は騎士に憧れ、戦いに参加して武功を立てることを夢見ていました。そして、アッシジとペルージヤの間に戦いが起こったときには、自分も武具を調え、馬に乗って戦いに参加しています。彼の家は町いちばんの金持ちでしたが、貴族ではなく庶民だったので、父のペルナルドーネも息子が騎士の栄誉を手に入れることを望んでいたのです。


ペルージアとの戦いで、フランシスコは敵の捕虜となり、1年間捕らわれの身となりました。といっても、彼はこのとき、まるで貴族のような立派で高価なものを身につけていたので、一般の市民としてではなく、ほかの貴族といっしょにされ丁重な扱いを受けたのでした。


その翌年、フランシスコは南イタリアで起こった戦いに参加するために、ふたたび馬にまたがって出発したのですが、その途中、ある町で病気にかかって倒れてしまいました。そのとき彼は「フランシスコ、どこに行こうとしているのか。家に帰りなさい。あなたのなすべきことはそこで知らされる」という不思議な声を聞いたのです。


フランシスコはその声に従って、アッシジの町に引き返してきました。アッシジに戻ると、彼はすぐに元の仲間に迎え入れられ、以前のように遊び歩くようになりました。ところが、仲間だちといっしょに町を歩いているとき、ふたたびあの声が聞こえてきたのです。


フランシスコはぼうぜんとしてその場に立ちすくみました。仲間たちは彼がぼんやりしているのを見て、恋患いにでもかかったのではないかといって冷やかしました。けれども、そのときから、フランシスコの生活は一変したのです。


彼は昔の遊び仲間に替わって、貧しい乞食たちを食卓に招くようになりました。道を歩いていて乞食に出会うと、身につけたものは何もかもほどこしてしまいました。それから、ローマヘ巡礼に行き、そこで本物の乞食と衣服を取り替えて、聖堂の前で物乞いをしたりしました。


ある日、フランシスコが馬に乗って田舎道を歩いていると、突然らい病(ハンセン病)人に出会いました。当時、らい病は不治の病とされ、らい病患者は忌み嫌われていました。彼は全身が膿だらけで悪臭を放っているらい病人を見ると、恐ろしくてなりませんでした。けれども、彼は馬から下り、勇気をふりしぽってそのらい病人に近づき、その手にほどこし物をしたあと、ひざまずいて手の指に接吻したのでした。


このとき、フランシスコの心のなかで大きな変化が起こりました。彼は何か聖なるものの光に照らされたように感じたのです。あくる日から、彼はらい病院を訪ねることを日課とするようになり、家族からも見捨てられ苦しんでいる病人たちを、兄弟のように親切に介抱するようになったのでした。


フランシスコはたびたび町はずれの野原にあるサン・ダミアノという壊れかかった聖堂で析るようになっていました。そこで析りを捧げていたとき、十字架の聖像が口を開いて「わたしの家を建て直しなさい」と命じました。フランシスコは単純に、これはサン・ダミアノ聖堂を建て直せということだと解釈しました。そして、さっそく聖堂の修繕に取りかかろうとしたのです。しかし、このときフランシスコに与えられた使命は、じつはそれよりもはるかに大きなものだったのです。


さて、アッシジの町ではフランシスコの気がふれたという噂が広まっていました。父ベルナルドーネは商用でたびたび家を開けていたため、息子の変化にはなかなか気づきませんでした。ところが、あるとき旅行から帰ってみると、息子が家から高価な織物をたくさん侍ちだし、売り払ってしまっていたことがわかったのです。


フランシスコはそのお金で、サン・ダミアノの聖堂を建て直すつもりでいたのです。彼は莫大なお金をその聖堂の司祭のところに侍っていきました。けれども、司祭はそれを受け取ろうとはしませんでした。

 

一方、ベルナルドーネは息子のしたことを知って、烈火のごとく怒り、馬をとばしてサン・ダミアノに駈けつけました。しかし、どこかに隠れてしまった息子を見つけだすことはできず、そのまま家に帰りました。それからしばらくたって、ある日のこと、ベルナルドーネが店の番台に立っていると、表の通りから大騒ぎする声が聞こえてきました。外に出てみると、群衆のなかに自分の息子がいるではありませんか。息子は乞食のようなかっこうをして、何か考えごとをしながらふらふらと歩いています。野次馬たちがその姿を見てはやしたてているのです。なんという恥さらしな! ベルナルドーネは怒って群衆をけちらし、息子の腕をひっつかんで家の中に引き入れました。そうして、薄暗い地下室に放り込み、鍵をかけて出ていってしまいました。それから、ベルナルドーネはふたたび商用の旅に出かけたので、フランシスコの母親は夫の不在中に、息子を自由にしてやりました。すると、フランシスコはまたサン・ダミアノの隠れ家に帰ってしまったのです。


頭に血がのぼったベルナルドーネは、息子の相続権を取り上げて、アッシジの町から追いだしてやるぞと息巻きました。彼は涙ながらにとりすがる夫人をふりきり、町の裁判所へ駆けつけて、息子のフランシスコを訴えたのです。裁判官はこの町の有力者の訴えを受けつけないわけにはいかず、フランシスコのもとに役人をさしむけて出頭を命じました。


ところが、フランシスコは自分は神のしもべとなった者だから、神よりほかのものに裁かれることはできないといって、町の裁判所の法廷に出頭することを拒否したのです。そこで父親はますます怒って、今度は町の聖職者である司教に訴えでました。司教の前にはフランシスコも出頭しないわけにはいきません。父と息子はついに、司教館にもうけられた法廷で顔を合わせることになったのでした。


アッシジの町は大騒ぎとなりました。なにしろ、ベルナルドーネは町いちばんの金持ちで有力者。そのベルナルドーネが自分の息子を司教様の前に訴えでたというのですから。司教館には噂を聞きつけた町中のひとたちが見物につめかけていました。


大勢の見物人のいる前で、司教はフランシスコにいいました。「フランシスコよ、お金は父上に返しなさい。そのお金は正しい方法で得たものではないので、教会のために使ってはなりません」


すると、フランシスコは「はい」と返事をし、立ち上がって着ていた着物を全部脱いで裸になりました。そして、その着物と持っていたお金を残らず父の足もとに差しだし、こういったのです。「みなさん、聞いてください。わたしはいま、父からもらった物をすべて返しました。わたしはこれまでピエトロ・ディ・ベルナルドーネをわたしの父と呼んできましたが、これからはもう父とは呼びません。天の御父のみを、わたしの父と呼びます」


フランシスコがそういい終わると、一瞬、あたりはしんと静まり返りました。それから人びとのなかに深い感動の波がわき起こりました。なかには泣きだす者までいました。司教の目にも涙が浮かんでいます。ただ、父親のベルナルドーネだけが、怒りのために真っ青になり、韻をこわばらせたまま、足もとに置かれた着物とお金をひっつかんで、出ていってしまいました。司教はフランシスコのほうに歩み寄り、裸のからだに自分のマントを広げてそっとかけてやりました。


その後、フランシスコはサン・ダミアノ聖堂の再建に取りかかりました。お金がないのでアッシジの町で大道芸人のように歌を唄って、そのあと聴衆の間を歩きまわって石や漆喰をもらい受けました。そうして、ひとつひとつ石を積み上げ、ついに聖堂を完成させてしまったのです。それから、別の古い聖堂の再建にも取りかかりました。


その聖堂はポルチウンクラ、またの名をサンタ・マリア・デッリ・アンジェリと呼ばれています。このポルチウンクラの近くに、フランシスコはその後の長い間の住居を定めました。


ベルナルドーネはときおり、貧しい修道士の身なりでアッシジの町を巡回し、食べ物のほどこしを受けている息子の姿を見かけることがありました。すると彼は舌打ちして、激しい呪いの言葉を吐き、その場を離れるのでした。


フランシスコは農夫の着る粗い毛織の衣を着て、腰には縄の帯を締めていました。町では「主があなたに平安を与えられますように」と挨拶し、説教を始めるのでした。以前、彼のことを気がふれたといって嘲笑していた町の人びとも、次第に畏敬の念を抱いてフランシスコの話に耳を傾けるようになりました。彼のもとには弟子になりたいという若者さえ集まってくるようになりました。


最初の弟子はベルナルドという名前で、フランシスコの行いを見て彼を尊敬するようになり、弟子になって従っていこうと決心したのでした。ベルナルドの友人ピエトロ・デイ・カッターニも同じ道を選びました。彼らは全財産を貧しい人びとに分け与え、ポルチウンクラでフランシスコとともに暮らすようになったのでした。2人の青年がフランシスコの弟子になったという噂は、町中にたいへんな衝撃を引き起こし、さらに3人、続いて4人と新しい弟子たちが加わりました。


フランシスコとその兄弟たちは、できる限り物を所有せず、必要最低限の物以外は求めない徹底した清貧の生活を守り、祈りと布教のために力を注ぎました。彼らは日々の糧を得るために、あるときは病院で働き、あるときは刈り入れの農夫たちを手伝いました。それでも、けっしてその日その日のパンと、ひとすくいの水以外にはなんの報酬も受け取りませんでした。


やがてフランシスコは、兄弟たちの生活の規則を書き記したものをたずさえてローマに赴きました。教会の最高権威である教皇にその会則を認めてもらうためです。フランシスコたちの願いは何ものも所有しない完全な清貧の生活を守ることでした。けれども、その会則があまりにも厳しすぎるというので、教皇イノセント三世は当初、その認可をためらっていました。ところが、教皇はある不思議な夢を見て、この貧しい乞食のような姿をした修道士が、教会全体を建て直す偉大な人物であることを悟り、フランシスコの会則を認可したのでした。


フランシスコとその兄弟たちは、自分たちの会を「小さな兄弟たちの修道会」と呼ぶようになりました。ローマから帰った兄弟たちには、最初の女弟子クララも加わりました。アッシジの裕福な貴族の家柄に生まれたクララは、フランシスコの生き方に心打たれ、家を飛びだしてきたのです。彼女ぱ長い髪を切り、粗い毛織の修道服を着て、腰には荒縄を結び、フランシスコと同じような清貧の生活を送るようになったのでした。そのとき、クララは18歳。彼女は終生、フランシスコを師と仰ぎ尊敬しました。そして、彼の指導のもとにクララ会という女子修道院をつくり、ほかの修道女だちとともに厳しい苫行と祈りの生活を送りました。


フランシスコぱ自然を愛した聖人として知られています。彼は太陽、月、星、風、雲、水、火、そして鳥や魚などすべての生き物を通して神を賛美し、これら披造物を兄弟であり姉妹として愛しました。彼が小鳥に説教し、小鳥たちはおとなしくその説教に聞き従ったという話はあまりにも有名です。


フランシスコは晩年、その身に聖痕を受けています。聖痕というのはイエス・キリストが十字架につけられた際に、その手足と脇腹に受けた傷と同じものが、からだに現れるという現象です。彼はこの聖痕と目の病気などに苦しみながら、自然を賛美する『太陽の讃歌』という詩をつくりました。


そして、1226年の10月3日の夕暮れに、ポルチウンクラで弟子たちに見守られながら、その生涯を閉じました。享年44歳でした。この聖人が永遠の眠りについたとき、空の上では思いがけない小鳥たちのさえずりがいっばいに広がったということです。


アッシジの町の人びとはフランシスコの死を悼み、町中の人びとが厳かな葬礼の行列を見送りました。



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