フィンドホーン財団の評議員をされている、寺山心一翁先生のお話とチェロの演奏を聴いてまいりました。
【参考】
エイトスターダイヤモンド・木曜会 (2013年5月30日)
寺山先生は、末期ガンを自然治癒していたプロセスの中で、日本ホリスティック医学協会の創設に参画。日本ホリスティック医学協会の常任理事を務め、日本代表として海外の学会に数多く参加。その後、スコットランドのフィンドホーン共同体(現・財団)に招聘されて講演したことが縁で、1988年に評議員に選出されて以来、現在まで継続して務めているそうです。
【参考】寺山心一翁プロフィール
そのフィンドホーン共同体を訪れた頃は、まだガンが残っていたのですが、そのような状態で共同体を訪れた寺山先生を、共同体の人々全てが出会うたびにハグして(抱きしめて)くれたのだとか。そしてフィンドホーンから帰国後に検査すると、ガンが完全に自然消滅していたそうです。
それは本当に素晴らしい体験で、その寺山先生はご自身のスマイルワークショップでハグすることを取り入れたということですが、そのワークショップの参加者が、全てを受け入れてもらえたようなハグに深く感謝されていました。
お話の後で、チェロのCDにサインと「愛」という字を書いていただきました。金色の愛が輝いていてとても嬉しかったです。
ワークショップに参加されていた方々が、寺山先生にハグをお願いされていましたので、私も初対面ですがお願いしてみることに。
心よくハグしてくださった寺山先生の存在感は、ふんわりと大きく温かく優しい穏やかな心地よさに満ちていました。
私も沢山のワークショップに参加していた頃、あちこちで色々なハグをしてまいりました。またアメリカ人のシスターや、アメリカ出張時の同僚達はとても気軽にハグしてくれていました。どれも素晴らしいハグです。どのハグにもその方の存在感が満ち溢れています。
そして寺山先生のハグは、ふんわりと大きな大きな愛を感じてとても心地よかったです。「自然の中で静かに笑っている」そんなハグのように感じました。
実は我が家でも、行ってらっしゃいと主人を見送る時には必ずハグをしています。もう15年くらい前からではないでしょうか?いつから始めたのか思い出せないくらい前から続いている習慣です。
日常のハグにも素晴らしい効用があります。なんといっても毎日愛が深まります。
ハグするときはエネルギーを与えたり受け取ったりするのではなく、とにかく相手の存在感をそのまま感じることにしています。ただ相手のその時のありのままを感じて受け止めるのです。
毎日ハグしていると、相手の心身の状態がとてもよくわかります。ああ、今とても忙しいのだろうなとか、何だか力がみなぎってるなとか、とても穏やかな気持ちだなとか、優しい愛が溢れているなとか。
そして、喧嘩していたとしても見送る時はハグするのですが、そうすると怒りや苛立ちがす~っと融けていきます。これはすごい効果です。
どうして変化するのだろう?と思うのですが、怒ったり苛立ったりというのは少し前の過去についてのもので、「今ここ」でハグしている相手の存在感というのは、自分の思いの中にあるものと違うと感じるからかもしれません。
久しぶりに友人に会った時や、職場で同僚が上手くいった時、後輩の抱えていた問題が解決した時、中学生の長女の努力が実った時、そしてまだ小2の次女は毎朝毎晩・・・。
思い起こしてみると、色々な場面でハグしているなあと気が付きました。
どうやってハグしているだろう?と思い出してみると、自分から「ぎゅ~して~」とやってくる次女のように小さい子供以外の場合は、
私が自分から両手を大きく広げているなあ、と気づきました(笑)
「身体に触れられることが痛みのように感じられる人もいる」と過去に学んだり経験したことがあります。また、ハグに男女の感情を交えてしまうような人もいるかもしれません。それらについては、少し注意が必要ですね。
でも、私は「人と人として」ごく自然な、そして深い親愛の情を表すハグという行為は、日本の「手を合わせる」とか「おじぎする」というような行為と同様に、とてもいい習慣のように思います。
今回、寺山先生のお話を伺って、これはもっと日常的に沢山ハグしていこうかな、という気がしてまいりました。日常的な「愛」の表現方法になるなと実感したのです。そしてそう思うと、楽しくなってくるのでした。
今日は2013年3回目の下弦の月。「新月(結実)~上弦(生長)~満月(開花)~下弦(成熟)」という流れの中では「成熟」の日です。
【参照】◇2013年 月のサイクル一覧
★2013年3回目
新月(結実):3月12日
上弦(生長):3月20日
満月(開花):3月27日
下弦(成熟):4月 3日
「物事の見直しや条件の再設定など、過去を振り返って、整理整頓するのに最適な時」だそうです。
3月12日の新月から、どのような日々だったでしょうか?振り返ってみると、色々なことが見えてきます。私はいつものようにGoogleカレンダーで振り返りました。
今日の関東地方は朝から暴風雨の予報だったので、小鳥達も大変なことだろうと、いつもは水だけのバードバスにイチゴを置いておきました。
すると暴風雨がおさまった午後3時ごろから、ヒヨドリがおやつを食べに何度も訪れてくれました。羽を膨らませていたので寒かったのでしょう。いつもより長く15分くらい、ゆっくりと羽を休めていました。
次女はイチゴを食べながら、何度かヒヨドリ用にイチゴを追加しました。
やせっぽっちのヒヨドリと、大柄なヒヨドリが何度も交互に訪れていたのですが、次女は警戒する鳴き声が多い方について「やせっぽっちは怖がり屋だね」と笑って見守っていました。鳴き声が聴こえるたびに、長女も次女も見に来ます。とても可愛く嵐の後の平和な光景でした。
台風一過の空が澄み渡るように、今日の暴風雨の後も空が美しかったです。久々に夕焼けがキレイだなあと感じました。
このところ雨の日が多く、ちょっと忙しかったこともあり、ランニングをお休みしていたのですが、広々した空に清清しさと開放感を味わわせていただきました。
3月の新月ヴィジョンは「愛・調和・平和」の「ハートを大きく広げる」イメージを持って創りました。
その結果、満月前から入ってきたお仕事の内容が、まさに大きなハートを感じさせる「愛と平和」をテーマにしたものでした。
お仕事の依頼主も、大きなハートの持ち主で、関係者の皆さんも大きなハートの持ち主。その仕事以外でも新たに出会った方も大きなハートの持ち主でした。
私自身はキャパシティが小さくて、もっと大きなハートの持ち主になりたいものだと思っている所ではありますが、とても勉強になるプロセスでしたし、これからも色々学ぶことが多いと思います。
そんな「愛・調和・平和」のプロセスに感謝している今日。下弦の月で見直すとすれば、更に調和を広げていきたい色々な部分が見えてきたかな、という所でしょうか。
それにしても、忙しい日々の中で「愛・調和・平和」の大きな流れを感じながら過ごすことができた日々に、心から感謝しています。
また2013年4回目の新月に向けて、よい創造に結び付けていきたいですね。みなさまの4月が素晴らしい日々になりますように。
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2011年3月11日14時46分の東日本大震災から2年が経ちました。
多くの人々があの日のことを思い出していらっしゃることだろうと思います。我が家では昨夜、震災の日どんな思いだったかを話していました。
長女は、学校の廊下で第一波の揺れを感じ、担任の先生が「早く教室に戻れ」と叫ぶ中、みんな走って教室に戻ったそうです。その後、机の下にいる時に(上階にある教室のため)強烈な揺れに見舞われ、泣き出す友人達の声を聞きながら、「私はこのまま死んでしまうんだ」「ママもマンションの下敷きになって死んでしまうだろう」と覚悟したそうです。
その頃、私もマンションの5階で激しく揺れる玄関のドアを押さえ、道路で大きく左右に揺れる街灯を見ながら、「もしかするとこのまま死んでしまうかも」と覚悟していました。
そして長女は学校のテレビで、私はお隣のテレビで、津波で家や車が次々と流される様子を見たのです。マンションの友人達と集まり、その映像を見ながら震えが止まらず、心配してメールしてくれた人々への返信もままならない感じでした。
そこからは、一人暮らしの高齢者の無事を確認したり、保育園に次女を迎えに行き、両親が都心から帰れない子供達を引き取り、連絡を受けた友人宅の子供達の様子を見に行ったり、小学校から両親が戻って来られない家に帰された子供達の無事を確認したりと、大忙しでした。
パパは学校の子供達の安全を確保するため当日帰ってくることはできず、私は娘二人と、両親が帰れず預かった子供達二人と共に、大きな余震が続く中、大変不安な夜を過ごしました。
そして何日も続く余震に怯える子供達を安心させたり、計画停電に備えたり、節電に協力して寒く暗い日々を過ごしながら、原発の避難区域や津波の被災地、また寒い避難場所で過ごす方々の映像に日々胸を痛めておりました。
あの日から二年、「私の一部はずっと被災地のどこかにいるような気がする」と話したら、長女が「私もそんな気がしている」と言いました。震災のニュースを見る度に涙を流し、心を痛めている私達家族ですが、そんな話をしたことがこれまでなかったため、お互いにとても驚いていました。
けれど、その時に思ったのです。普段、口に出すことはなくても、被災地の痛みと共に生きていると感じている人は多いのではないか?と。被災地の人々の痛みを共に痛み、復興の喜びを共に喜んでいる人は、とても多いのではないか、と。
実を言えば、1995年(平成7年)1月17日の阪神淡路大震災でさえも、そうなのです。もう18年たち、美しい街並みが戻っても、あの日のニュースから続く胸の痛みがあります。
更に言えば、チェルノブイリ原発事故も、スマトラ島沖地震も、その他の色々な痛みに触れたときから続く、胸の痛みがあるのです。それは私達がつながっているからかもしれません。
その感じは何に似ているかなと考えてみると、遠い親戚の痛みと喜びに似ています。何かあったとき、お見舞いを送り、悲しみや苦しみの声を聞いて胸を痛め、無事や回復を共に願い、少しでもよいニュースが届くと、喜びを分かち合うような。
離れているけれど、共に生きている私達。遠くで、痛みや喜びを共に感じている私達。
震災の前日の同じような時刻(2011-03-10 14:47:10)に私は、『●プロセスの完了~あるプロセスが終わるとき』 というブログを書きました。
「今朝、あるプロセスが完了しました。このプロセスの始まりは小学校5年生の頃。ずいぶん長いプロセスでした。」と書いています。
翌日、清清しい新しい気持ちで午前中を過ごした、その午後に大震災が起こりました。
そして震災後に最初に得たヴィジョンは『●調和する』というものでした。
『野草「仏の座」の花言葉「調和」。自分自身のあらゆる部分と調和する。家族、友人、地域、職場、学校・・・身近な人々と調和する。日本や世界の人々、あらゆる生物たち、地球の全てと調和する。宇宙の在り方と調和する。少しづつチューニングを合わせて、調和を進めたいなと思いました。』と書いています。
それぞれの場所で、お互いの痛みや喜びを共に感じながら、あらゆる国の人々や、生物や自然環境、地球や宇宙と、少しずつ調和を進めていくことができれば・・・。また、生きている人々と、亡くなってしまった人々の願いが良いカタチとなって、復興が進みますように。
そんな願いと共に、2013年3月11日14時26分の黙祷を捧げたいと思っています。
地球の内側の水星と金星の日は、自分の内側に耳を澄ませてみてはいかがでしょう。【惑星通信】より
自分の内側に耳を澄ませてみると、聴こえてくるのは「平和への願い」。色々なニュースが飛び交う中、特に強く感じることです。
『平和の祈り』より抜粋
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところに許しを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、悲しみのあるところに
喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、
わたしが求めますように。
『平和の祈り』とは、カトリック修道士でフランシスコ会創立者のアッシジの聖フランシスコ(フランチェスコ)の精神を表した祈りです。
「平和の祈り」はマザー・テレサが好んでいたとも言われています。
【参照】マザーテレサの祈り
自分の内側に耳を澄ませる時間を持てますように。
今日もまたよい1日でありますように。
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