
◆魚座の時代と水瓶座の時代
何気なく手に取った本に次のような説明が書かれていました。
西暦2000年までは、「魚座の時代」でした。この時代は、他人に感情移入し、苦しみを分け合うことが優しさだと考えられていました。しかし、今は水瓶座の時代です。「すべてはただの経験である」という考え方が重要になります。感情移入ではなく、客観的な思いやりを持ってください。
(『すべての人が幸せになる「魔法の言葉」』ウィリアム・レーネン/著)
「感情移入」ではなく「客観的な思いやり」という言葉に、長年の謎が解けたような気がしました。
◆感情移入とエンパス体質
私は身近な人の痛みを自分の体で感じてしまう、「体共感」の強いエンパス体質です。(参照ブログ『●ほっとする~体共感との関係』)
他人の心身の痛みを自分の心身で感じてしまうのです。
でも仕事で対面セッションを行なう時にはあらかじめ境界線を設定していますし、身近な人の痛みにも最近は境界線を意識しているので、昔に比べて苦労することはなくなりました。それは「仕事の性質上、境界線を引いて客観的になる必要がある」とか「困っていたけれど対処できるようになった」という感じでした。
それでも無意識な状態の時や、無防備な状態の時、思いがけず人の痛みを受け取ってしまうことがよくあります。これは身体の痛みに限らず、感情的な痛みも同様です。
◆感情移入は役に立たないので止める
そのような不意打ちの場合でも、気づけば自ら感情移入を止めるようにしてきました。「これは私の痛みではない」と気づいて手放すように心がけてきたのです。
ですが、例えば身内や親戚、親しい友人の痛みを不意に受け取った時、頭では「手放そう」と思ってもなかなかできないことが多々ありました。それは無意識の中に「苦しみを分け合うことが優しさだ」という思い込みがあったからではないかと思います。
けれどこれも、相手と自分の違いを知るにつけ役に立たないと実感するようになりました。
たとえば相手と同じ身体の痛みを感じて、普段健康な私が七転八倒の苦しみを感じても、相手はその痛みに慣れていて平気だと知り愕然としたり、
感情的な痛みを受け取っても、「これはひどい痛みだ」と私が引きずっている間に、相手は慣れたもので、さっさと手放していたり・・・。
実際、私が体共感で受け取ろうが、感情移入で受け取ろうが、相手とは異なる人間なので、役に立たないのです。というか、私自身がひどくエネルギーを消耗してしまい、もったいない使い方だなあと感じるようになりました。
そして「体共感」や「感情移入」は役に立たないから止めようと思うようになったのです。
◆客観的な思いやり
一方で「客観的な思いやり」は、逆の立場で受け取った時に、とても有難く感じます。
「これはあなたの問題だから」という一定の距離をおいて、しかも思いやりを示していただけると、自分の問題に集中できるというのでしょうか。問題を解決するための時空間を侵害されず、「そっとしてもらえた」という安心感があります。
この「そっとしておく」という態度は、実は私が今生で学びたいテーマで、うちの旦那さんは「そっとしておく」達人です。どうすれば、そのような態度がとれるのか長年質問攻めにしてきたのですが、彼は意識してやってるわけではないので答えられないというばかり。
私はエンパス体質のため、長年他人の問題をそっとしておけない「何とかしなければ!」的な生き方で色々と苦労が耐えませんでした。
けれど、この本の中で、「感情移入」ではなく「客観的思いやり」とキッパリ表現していただき、「優しさの定義」がスパッと切り替わったため、長年の疑問がす~っと解決したのです。
今後は躊躇することなく、「体共感」や「感情移入」を「客観的な思いやり」に切り替えていけるような気がします。有難いことです。
客観的な思いやりを持って生きることができるようになると嬉しいですね♪
愛と光と感謝をこめて。
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