●死んでもいいという父の言葉

●死んでもいいという父の言葉【ミニブログ】

今日のテーマは

『死んでもいいという父の言葉』です。

アメーバブログ『死んでもいいという父の言葉』

に掲載した内容です。

 

【目次】

◆小学生の頃、父に言われた言葉

◆反抗期の私と主夫の父

◆本当に死にそうになった日

◆反抗期から自分の責任へ

◆父の病いを見守り応援する

◆魂のチャレンジャーと見守る人へ

 


◆小学生の頃、父に言われた言葉

 

私が小学校高学年になった頃、父から言われた言葉。

 

「死んでもいいと思うことにした」

 

 

この言葉は当時の私にとって衝撃的な言葉でしたが、子育てをするようになって益々心に沁みる言葉となりました。

 

 

これは、やんちゃで冒険好きだった私が一人自転車で遠出をするようになった時に、言われた言葉です。

  


◆反抗期の私と主夫の父

 

キモノの図案家をしながら主夫もしていた父は、幼稚園の先生をしていた母親が預かり知らぬ時に、私の反抗期の始まりを一人で受け止めてくれていました。

 

当時の私は、とにかく「チャレンジしてみたい」「一人でやってみたい」「いろんな冒険がしたい」と男の子顔負けに「危ないこと」の限界にチャレンジするのが大好きでした。

 

自転車で遠い街まで一人出かけることもしばしばで、幼い頃に自転車の乗り方を教えてくれた父は気が気ではなかったことでしょう。

 

最初は色々な注意を伝え、「気をつけて」を繰り返していたのですが、ある日最後に出てきた言葉が、

 

「死んでもいいと思うことにした」

 

 

という父なりに腹をくくった言葉だったのです。

 


◆本当に死にそうになった日

  

「死んでもいいと思うことにした」と言われた日、私は自転車で本当に死にそうになりました。

 

今でもよく覚えているのですが、T字路の坂道をブレーキもかけずに猛スピードで降りていて、突き当たりの道を横切ったトラックと衝突しそうになったのです。

 

トラックの運転手が急停車してくれて、私も寸前で急ブレーキをかけ、トラックの若い運転手に怒鳴られただけで助かったという出来事でした。

 

 

この時、「死んでもいいと思うことにした」という父の言葉が、本当にリアルに心に響き渡ったのです。

 

「お父さんは私に死んでほしくないんだ」

その時、突然、父の思いが実感として伝わってきて泣きそうになりました。

 

 


◆反抗期から自分の責任へ

 

その日から、私は、自分の命を守ることに真剣になりました。

 

「死んでもいいと思うことにした」

 

という父の言葉の決断の重みを実感し、「反抗期」から「自分の責任」に切り替わった記念日となりました。

 

 

反抗期の入り口にいた小学生の私にとって、父の言葉は大きな愛情と大人の決断を感じる重要なキーワードとなったのです。

 

その後も父は、私の様々なチャレンジを見守り応援してくれました。重要なタイミングでは有難いアドヴァイスや忠告もありましたが、それ以外は失敗も黙って見守っていてくれたことが本当にありがたかったです。

 

だから、長女の反抗期の時も、反抗期の入り口にいる今の次女に対しても、私はそのような決意をもって接しています。

 

 

今日、このブログを書こうと思ったのも、次女が夕方一人自転車で遠出しているからだったりします。

 

 


◆父の病いを見守り応援する

 

さらに現在、父が難しい病気で入院しているのですが、父はお医者様と相談しながら、自分の力で乗り越えようと頑張っています。「何も口出ししないで欲しい。自分で乗り越えたい」と父の気持ちが伝わってきます。

 

本当は色々なことを伝えたいけれど、父が私の自由とチャレンジを認めてくれたように、私も父の自由とチャレンジを認め、黙って見守り応援していたいと思っています。

 

 

「死んでもいいと思うことにした」

 

これは決して「死んでもいい」と思っているわけではありません。「死んでしまったらどうしよう」という自分の「恐れ」を手放すための言葉です。

 


魂のチャレンジャーと見守る人へ

 

父が私の魂のチャレンジを見守り応援してくれていたように、

私も父の魂のチャレンジを見守り応援したいと思っています。

 

 

魂のチャレンジャーである全ての子どもと大人たちへ

 

 

魂のチャレンジャーを見守り応援している全ての人へ

 

 

愛と光と感謝をこめて

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