マザーテレサの祈り

更新日:2011/10/15 公開日:2011/10/15

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マザーテレサの祈り【自己変容の道】
マザーテレサの祈り【自己変容の道】

マザーテレサの祈り


愛は家庭から

愛は家庭から始まります。まず家庭の中で不幸な人を救いなさい。両者が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。平和とうるおいの家庭が築けたら、隣人を愛しなさい。自分が、自分の家庭が、愛に満たされなければ隣人を愛せません。

 

マザー・テレサ (1981年4月、初来日の際)

 


思考に気をつけなさい

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。


マザーテレサの言葉(と言われていますが出典不詳です)




【inner-wishより補足】

この言葉は昔から大好きで、とても役立つ言葉だと感じています。マザーテレサの言葉として出回っていますが、出典不詳で詳しいことはわからないため、長らく掲載していませんでした。でもマザーテレサからの言葉として受け取ると、すんなり心に届くように思い、注釈を付けて掲載することにしました。

 


平和の祈り

平和の祈り(女子パウロ会)
平和の祈り(女子パウロ会)

 

『平和の祈り』

主よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

 

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところに許しを、
分裂のあるところに一致を、

疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、

絶望のあるところに希望を、
闇に光を、悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください。

 

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

わたしたちは与えるから受け、許すから許され、
自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。

 

聖アシジのフランシスコ

 


『平和の祈り』とは

カトリック修道士でフランシスコ会創立者のアッシジの聖フランシスコ(フランチェスコ)の精神を表したとされる「平和の祈り」。「平和の祈り」はマザー・テレサが好んでいたとも言われています。


マザーテレサのビジネスカード

マザー・テレサが「これは私のビジネス・カードよ」と冗談を言って、出会った人々にいつも名刺代わりに配るカードがある。そのカードには次のように書いてある。

The fruit of SILENCE is Prayer. 

The fruit of PLAYER is Faith. 

The fruit of FAITH is Love. 

The fruit of Love is Service. 

The fruit of SERVICE is Peace. 

静けさの果実は、祈りである。

祈りの果実は、信仰である。

信仰の果実は、愛である。

愛の果実は、奉仕である。

奉仕の果実は、平和である。


 

奉仕、すなわち愛の実践を導き出す原点は、静けさの中の祈りだと言われる。静けさの中で語りかけてくるイエスの"I love You." という言葉を聞きなさい、とマザー・テレサは言われる。

(『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 )

 


この内容は下記から引用しています。

マザー・テレサの真実 (PHP文庫) 文庫

【参考】

マザー・テレサの真実

(PHP文庫) 文庫

五十嵐 薫 

出版社: PHP研究所 (2009/6/1)

発売日: 2009/6/1


愛されているという実感

 

愛の実践の源は、このイエスに愛されているという実感である。これを見失ったら、神の愛の宣教者会(Missionaries of Charity)の貧しい人々の中の最も貧しい人に仕えるという誓願を、シスターたちは果たすことができなくなってしまうとマザー・テレサは言っている。

 

 "I love You."と語りかけてくるイエスとは、想像ではなく、現実に見ることができ、声を聞くことができ、手を伸ばせば触れられるイエスのことを言っているのだ。

 

(ベナレスからのマザーテレサの遺書では次のように語っている。)

 

どんなにか深くイエスはあなたを愛していることか、それはあなたの想像をはるかに越えています。私はあなた方の中で、まだ本当にイエスと出会っていない人がいることを心配しております。一対一、すなわちあなたとイエスだけで、という意味です。

 

私たちは聖堂の中で時を過ごします。しかしあの方がどんなに愛をこめてあなたを見ているか、魂の目で見たことがありますか。あなたは本当に生きているイエスを知っていますか。それは本からではなく、あなたの心の中で、あの方と共に在り続けることによって知るのです。

 

あなたはあの方が語りかけてくる愛の言葉を聴いたことがありますか。(それができるように)神の恵みを願いなさい。あの方はその恵みをあなたに与えたくてしようがないのですから。

 

あなた自身の心の静けさの中で、イエスの声を聞けるようになるまで、あの方が貧しい人々の心の中で "I THIRST."(私は渇く)と言っているのを聞くことはできないでしょう。

 

日常、イエスと親しく触れ合うことをあきらめてはいけません。私が言っているイエスとは実際に生きている存在としてのイエスであって、頭で想像するイエスではありません。

 

「あなたを愛してます」というイエスの言葉を聞くことなしに、一日を終えることができるでしょうか。いいえ、できません。身体が呼吸するように、私たちの魂はその言葉を必要としているのです。もし、そうでなければ、私たちの祈りは死んだも同然です。黙想はただの考えている時間に過ぎません。

 

イエスはあなた方一人ひとりに、耳を傾けてくれることを求めています。あの方は、あなたの心の静けさの中で語りかけているのです。

 

(『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 )

 


この内容は下記から引用しています。

マザー・テレサの真実 (PHP文庫) 文庫

【参考】

マザー・テレサの真実

(PHP文庫) 文庫

五十嵐 薫 

出版社: PHP研究所 (2009/6/1)

発売日: 2009/6/1


共に居る家族のために、神と共に在り続ける

 

マザー・テレサの講演【ノーベル平和賞授与式典にて】より抜粋。  

*****

私たちは神に似せて創られました。私たちは愛するため、また愛されるために創られました。そして、彼が私たちを愛されたように、私たちも互いに愛することができるように、イエスは人間となられたのです。

 

イエスはご自分を飢えているものになさいます。着る物がない者に、ホームレスの者に、病気の者に、牢獄の者に、孤独の者に、望まれない者になさいます。そしてこう言うのです。「あなたがそれを私にしてくれた。You did it to me.」

 

彼は私たちの愛に飢えているのです。それは、貧しい人々の飢えなのです。そして、この飢えは、皆が気がつかなければならない飢えなのです。それは私たちの家の中にもあるかもしれません。

 

イエスがこう言われたことを私たちは信じるのです。

 

「私は飢えていた。着る物がなかった。家がなかった。望まれなかった。愛されなかった。大切にされなかった。しかし、あなたはそれを私にしてくれたではないか。"You did it to me."」

 

私たちはソーシャル・ワーカーではないと思っています。たぶん人々の目には、私たちがソーシャル・ワークをしているように見えるかもしれません。しかし、私たちは黙想的な世界に生きているのです。二十四時間、イエスの体に触れているのです。二十四時間現存していらっしゃるイエスがいるのです。

 

あなたもそうなのです。共に祈り、共に居る家族のために、神と共に在り続けるように努めなければなりません。

 

私は、家庭に平和をもたらすことを邪魔する爆弾や銃は必要ないと思います。

 

ただ共に集い、隣人を愛し、平和を喜び、そして、家庭で共にいることの力強さをもたらすことです。この世にはあまりにも多くの苦しみ、憎しみ、そして悲しみがあります。

 

私たちの祈りと犠牲は、家庭から始まるのです。愛は家庭から始まります。私たちがどれだけのことをなすかということではなく、どれだけの愛をこめて行うかということです。

 

神は全能です。私たちがどれだけのことをなすかということは、問題ではありません。神は無限なる存在です。どれだけの愛を込めて行うかが大切なのです。私たちが仕えている人々の中におられる神に、どれだけのことができるかです。

 

(『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 )

 


この内容は下記から引用しています。

マザー・テレサの真実 (PHP文庫) 文庫

【参考】

マザー・テレサの真実

(PHP文庫) 文庫

五十嵐 薫 

出版社: PHP研究所 (2009/6/1)

発売日: 2009/6/1


ただ心を開くだけでいい

 

あの方はあなたを愛しているばかりではなく、それ以上にあなたを求めているのです。あなたが近づこうとしたとき、あの方はとても淋しく思っています。あの方はあなたに渇いているのです。

 

あなたがたとえ自分なんて愛される価値などないと思っているときでさえ、あの方はいつもあなたを愛しているのです。あなたが他の誰からも受け入れられないとき、また自分自身ですら受け入れられないときでも、あの方だけはいつもあなたを受け入れてくれるのです。

 

子どもたちよ、イエスがあなた方を愛するのに分け隔てはありません。ひたすら信じなさい。彼にとってあなた方は宝物なのだということを。あなたが悩んでいる全ての重荷をあの方の足下に置いてみなさい。

 

あなたがありのまま、あの方に愛されるためには、ただ心を開くだけでよいのです。あとのことはあの方がやってくださるでしょう。

 

(『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 )

 


この内容は下記から引用しています。

マザー・テレサの真実 (PHP文庫) 文庫

【参考】

マザー・テレサの真実

(PHP文庫) 文庫

五十嵐 薫 

出版社: PHP研究所 (2009/6/1)

発売日: 2009/6/1


イエスはマザー・テレサに何を語ったのか?

 

1946年9月10日にダージリンに行く列車の中で、マザー・テレサに語りかけてきた言葉についてである。マザー・テレサは、「イエスが何を語りかけてきたのか、初めは理解できなかった」というのである。

 

しかし、イエスの母マリアはマザー・テレサに、「彼があなたに言われることは何でも行いなさい」と言い、マザー・テレサはただ「はい」と答えて従っていったというのである。

 

その9月10日のメッセージのことは、どの本にも、「修道会を出て、貧しい人々の中の最も貧しい人に仕えなさい、 と言われた」と、書いてある。 しかし、そのようなお告げなら、普通の人ならともかく、マザーテレサが理解できない話ではない。

 

事実は、"I THIRST."(私は渇く)と言って、息を引き取る直前のイエス・キリストが目の前に現れてきたというのである。そして理解できないでいるマザー・テレサに、今度はマリアがただ、「はい」と言ってついていきなさい、と言われたのである。

 

"I THIRST."(私は渇く)と言って、十字架につけられたイエスがなぜ自分の目の前に現れたのだろう。祈りを深めていくうちに、思い出されてきた新薬聖書の話に『マタイによる福音書』の一節があった。

 

「あなたたちは、私が飢えていたときに食べさせ、渇いているときに飲ませ、旅にいたときに宿らせ、裸だったときに服をくれ、病気だったときに見舞い、牢にいたときに訪れてくれた」という。

 

すると義人たちは答えて、「主よ、いつ私たちはあなたの飢えているときに食べさせ、渇いているときに飲ませ、旅のときに宿らせ、裸だったときに服をあげ、病気のときや牢に入られたときに見舞ったでしょうか」という。

 

主は答える、「まことに私は言う。あなたたちが私の兄弟であるこれらの小さな人々の一人にしたことは、つまり私にしてくれたことである」 

(『マタイによる福音書』第25章)

 

「あなたが私にしてくれた」すなわち、"You did it to me."という言葉が、繰り返し心に響いてくるのだった。何度もマザー・テレサは、"You did it to me."という言葉を繰り返した。この言葉が、すべての謎を解く鍵、キー・ワードだということがしだいに明らかになっていった。

 

人が「渇く」というのは肉体の渇きを意味し、イエスが「渇く」というのは、霊の渇きを意味している。そして、人は渇きを癒すために「水」を与えるが、イエスは渇きを癒すために「聖霊」を与えた。また、「水」で満たされた渇きはまた渇くが、「聖霊」で満たされた渇きは永遠に渇くことがない。

 

時間を経てマザー・テレサは、イエス・キリストが自分に何を求めているのか、ようやくすべてを理解した。その求めに「はい」と応えたが、棄てなければならないものの大きさに最初の一歩を踏み出すことができなかった。今のままでも十分イエスに応えていたはずだが、もっと違う生き方が求められている。

 

ためらっているマザー・テレサに、あたかも脅しをかけるかのようにイエスは呼びかけてきた。これはダージリンに行く汽車の中で啓示を受け、その意味を理解したあと、行動できずに迷っているマザー・テレサに臨んできたイエス・キリストの呼びかけである。

 

マザー・テレサが亡くなってしばらくしてから、1947年1月13日に彼女がペリエ大司教に宛てた手紙が、インターネットに公開されたことがあった。それを読むと、マザー・テレサは外部に対して一度も語ったことはないが、超人的な霊感を持ち合わせ、遥か時空を超えてイエス・キリストや聖母マリアと語ることのできる能力を持っている人であったことがわかる。

 

マザー・テレサは本当に苦しい選択に立たされていた。イエス・キリストと語り、「私を選ばないでほしい」と説得しようと何度も試みたという。

 

何度も繰り返されるイエスの呼びかけを、マザー・テレサは本当に恐れた。インド人のように食べ、寝、生活するという思いは、彼女の心を恐怖でいっぱいにしたマザー・テレサは長いこと祈った。そして聖母マリアに頼んだ。「このような役目をみんな私から取り除いてくださるよう、イエスにお願いしてください。」と。

 

しかし祈れば祈るほど、「声」はより鮮明になって心に響いていった。

 

ついにマザー・テレサはあきらめた。そして「イエスが望むどんなことにでも私を使ってください」と祈ったとき、再びいつもの声が彼女に呼びかけてきた。その声は非常に鮮明だった。 

 

(『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 )

 


この内容は下記から引用しています。

マザー・テレサの真実 (PHP文庫) 文庫

【参考】

マザー・テレサの真実

(PHP文庫) 文庫

五十嵐 薫 

出版社: PHP研究所 (2009/6/1)

発売日: 2009/6/1


"I THIRST."にたどり着く秘訣

 

最後に、私たちがどのようにしたら"I THIRST."(私は渇く)というイエスの叫びが理解できるようになるのか、その秘訣を示して、この手紙(ベナレスからのマザー・テレサの遺書)は終わる。

 

*****

 

どのようにしたら、あなたはイエスの渇きにたどり着くことができるでしょうか。ひとつ秘訣を教えてあげましょう。

 

それはイエスご自身に近づくことです。あなたがイエスに近づけば近づくほど、イエスの渇きをより深く知ることができるのです。

 

「悔い改めなさい。そして信じなさい。」とイエスは言っています。悔い改めるとは何を悔い改めるのでしょう。それは私たちの関心のなさ、心の堅さのことです。

 

私たちは何を信じることができるでしょうか。それはイエスの渇きが、今このときでさえ、あなたの心の中にあり、貧しい人々の中にあるということです。

 

あの方はあなたの弱さも知っています。あの方はただあなたの愛だけを望んでおられます。そしてただ、あなたを愛するチャンスだけを望んでおられます。

 

イエスは時間に束縛されません。ですから、私たちがあの方に近づこうとすればいつでも、私たちは聖母マリアや、使途ヨハネ、そしてマグダラのマリアの仲間になれるのです。

 

あの方の声を聞きなさい。あの方が呼んでいるあなたの名前を聞きなさい。イエスよ、私の喜びと、あなたの喜びを、完全なものにさせてください。祈りましょう。

 

God Bless You. (神の恵みがありますように)

 

(『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 )

 


この内容は下記から引用しています。

マザー・テレサの真実 (PHP文庫) 文庫

【参考】

マザー・テレサの真実

(PHP文庫) 文庫

五十嵐 薫 

出版社: PHP研究所 (2009/6/1)

発売日: 2009/6/1


ニューマン枢機卿の祈り

 

イエスさま、私がどこにいても、あなたのかおりをはなつことができますように、私を助けてください。私の心をあなたの霊といのちであふれさせてください。

 

私の存在に浸み通り私を捕えつくすことによって私の生活のすべてが、 ひたすらあなたの光をかがやかすものとなりますように。私をあなたの光をかがやかせるものとしてお使いください。

 

私が出合うあらゆる人々が、 私の中にあなたのみ姿を感じることができますように、私のうちでかがやいてください。主よ、人々がもはや私ではなく、あなただけを見ますように。

 

私の中におとどまりください。そうすれば私があなたの光でかがやき、 私の光で他の人々もかがやくことができるのです。

 

主よ、光はすべてあなたからのもの、 ごく僅かの光でさえ、私のものではありません。あなたが私を通して人々を照らしておられるのです。私の周囲にいる人々を照らすあなたへの賛美を私の唇にのぼらせてください。

 

言葉でよりも行動で、 私の生き方、あなたから与えられる私のあなたへの愛が、目に見える光となって、あなたを人々にのべ伝えることができますように。

 

(PHP研究所『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』渡部和子訳)

 


この内容は下記から引用しています。

マザー・テレサ 愛と祈りのことば (PHP文庫) 文庫

【参考】

マザー・テレサ 愛と祈りのことば

(PHP文庫) 文庫

ホセ ルイス・ゴンザレス‐バラド (編集)

Jos´e Luis Gonz´alez‐Balado (原著),

渡辺 和子 (翻訳)

出版社: PHP研究所

発売日: 2000/09/01


『ニューマン枢機卿の祈り』とは

 

マザー・テレサはこの祈りをミサ聖祭のすぐあとに唱えていました。この祈りは、マザー・テレサの行動の指針となっていました。彼女はこの祈りで願ったように行動したのです。 (PHP研究所『マザー・テレサ 愛の花束―身近な小さなことに誠実に、親切に』中井 俊已 (著))


マザー・テレサの弱さと祈りの力

マザー・テレサがスラムの子どもたちのために青空教室を始めた頃、自分の弱さを感じながらも、祈りによって弱さと闘っていたという記述に、強く心を打たれました。

 

***** 

仲間がいない。助けてくれる人がいない。お金がない。安全の保証もない。ないないづくしの現実に、不安だけがふくらんでいくようでした。実際、シスター・テレサはひどい孤独に襲われたこともあります。当時の日記にはこう書いてあるのです。

 

「神よ。今日の孤独は、なんと耐えがたいのでしょう。私は耐えられるのでしょうか。涙が止まりません。こんなに弱い人間だったなんて。神よ、弱さと闘う勇気をください。私は間違っているのでしょうか」

 

小さな体に不屈の闘志を秘めていたテレサではありましたが、その一方ではこういう弱さももっていたのです。彼女も心細さに震える一人の女性にすぎなかったと言えるでしょう。

 

しかし、彼女は自分の弱さを感じながらも、逃げることなくその弱さと闘い続けました。その闘いの唯一の武器は、いつも祈りでした。「神よ、お助けください。弱さと闘う勇気をください」そして、神さまは、彼女のその真摯な祈りに応えてくれたのです。

 

(PHP研究所『マザー・テレサ 愛の花束―身近な小さなことに誠実に、親切に』中井 俊已 (著))

 


この内容は下記から引用しています。

マザー・テレサ 愛の花束―身近な小さなことに誠実に、親切に 単行本(ソフトカバー)

【参考】

マザー・テレサ 愛の花束

―身近な小さなことに誠実に、親切に  – 

単行本(ソフトカバー)

中井 俊已  (著)

出版社: PHP研究所

発売日: 2003/9/18



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