般若心経(大本)_現代語訳

更新日:2022/07/27 公開日:2012/01/18

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般若心経(大本)_現代語訳【自己変容の道】
般若心経(大本)_現代語訳【自己変容の道】

般若心経(大本)_現代語訳

 

大本「般若心経」全文現代語訳(河口慧海(かわぐちえかい)師訳)を紹介します。

 


以下の紹介内容は、すべて下記より引用しています。

CD付き 般若心経 読む・聞く・書く 単行本

【参考】
『般若心経【読む・聞く・書く】』
法楽寺住職 小松庸祐/西東社

 

画像については、書籍の内容を参考に作成したものです。
それ以外の追加情報については、参照元を個別に記載します。

 



※ 河口慧海(かわぐちえかい)師

 

1866年(慶応2)年、大阪の堺市に生まれた河口慧海師は、

生涯、仏教の原点を求め、梵(サンスクリット)語漢訳仏典、

チベット語の仏典の勉学にいそしむとともに、

1897年~1903年(明治30~36)年、単身ヒマラヤを越え、

艱難辛苦の末、日本人としてはじめて鎖国下のチベットに入国した

宗派を超えた仏教者でした。

その河口慧海師が訳された古格と気品ある『般若心経』の現代語訳を記します。

 


 

大本「般若心経」全文現代語訳  河口慧海(かわぐちえかい)師訳

 

私はこのように聞きました。

ある時、み仏は王舎城の霊鷲山(りょうじゅせん)に、

お弟子の比丘なる大僧侶と、菩薩の大僧侶たちと、

一緒に居られました。

 

②その時、み仏は、実に深い法性を照らして見るという三味に、

静かにお入りになりました。

 

③また、その時に聖観自在大菩薩(しょうかんじざいだいぼさつ)という方があって、

最勝智に到るところの、深妙なる行道を完全に見られて、

五蘊などの身と心に対して、それらは空であると完全に見られました。

 

④その時、仏の力に依りまして、長老である舎利子が、

聖観自在大菩薩に問うて云いました。

もし善男子や善女人がありまして、

最勝智の境地に到るところの、深妙なる行道を行いたいと願いますれば、

いかように学んでよろしいかといいました。

 

その時、聖観自在大菩薩は、長老舎利子に次のように答えられました。

 

舎利子よ、もし善男子善女人があって、

最勝智の境地に到るところの深妙なる行道を行いたいと願うならば、

五蘊などの身や心は皆自性に依って、

空であると完全に照らして見るべきであります。

 

このように照見いたしまして、

物はそのまま空であると同時に、空はそのまま物であります。

物を離れて空はない。空を離れて物はない。

それと同じく知覚と想像と意行と知識等も空であります。

 

舎利子よ、万法の自性は空であって相ではありませぬ。

生もなく、滅もなく、垢もなく、無垢もなく、

減もなく増もありませぬ。

 

舎利子よ、この理由に依って、

空にも身もなく、知覚もなく、想像もなく、意行(いぎょう)もなく、知識もなく、

眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身もなく、意もなく、

物もなく、聲(しょう)もなく、香もなく、味もなく、法もありませぬ。

 

それと同じく眼界もないことからして、

意界(いかい)もなく、意識界に到るまでもありませぬ。

それと同じく、苦もなく、集もなく、滅もなく、道もなく、智もなく、

得もなく、得ないこともありませぬ。

 

舎利子よ、この理由によって、

菩薩等は得るとことがないからして、

それで最勝智(さいしょうち)の境地に到るところのこの法に安住しまして、

心に障礙(しょうげ)もなければま亦(また)恐怖もなく、

顚倒(てんどう)の心を遠く離れまして、

煩悩を離れましたところの完全な境地に着きます。

 

確かに三世(さんぜ)にあらせられるみ仏たちは、

最勝智の境地に到るこの法に依りまして、

無上正真円満(むじょうしょうしんえんまん)の菩提を成就して、

仏陀(ほとけ)となられました。

この所由で、最勝智の境地に到りまする真言、大明の真言、無上の真言、

無等と等しい真言はいっさいの苦厄を全滅しうる真言であって、

虚妄でないから、真実であるとしるべきであります。

 

故に最勝智の境地に到るところの真実を説きますると、

次の如くであります。

 

唵(をし) 掲帝(がて) 掲帝(がて) 波羅掲帝(はらがて)

波羅僧掲帝(はらそうがて) 菩提(ぼーぢひ)薩婆(すわー)訶(はー)

 

舎利子よ。大菩薩等は是(こ)のように

最勝智の境地に到るところの、深妙の法を行なわねばなりませぬ。

 

その時、み仏は三昧からお起ちになりまして、

聖観自在大菩薩に、善い事だ、と仰せられました。

善い事だ、善い事だ、その通りだ、その通りだ、

お前の説いた通りに、最勝智の境地に到るところの、

深妙の法を修行すべきである。

このようにしていっさいの如来も随喜(ずいき)せられるであろう。

と、このようにみ仏は仰せられました。

 

そうして長老舎利子と、聖観自在大菩薩と、

神と、人間と阿修羅と乾達婆(けんだっば)などの世界の者らが、

み仏のみ教を明らかに賛嘆いたしました。

 



大本「般若心経」

 

般若波羅蜜多心経

はんにゃはらみったしんぎょう

 

如是我聞

にょぜがもん

一時佛在王舎城耆闍崛山中

いっしぶざおうしゃじょうきとくつさんじゅう

与大比丘衆及菩薩衆倶

よだいびくしゅうぎょうぼさつしゅうぐ

 

時佛世尊即入三昧 名広大甚深

しぶつせそんそくにゅうさんまい みょうこうだいじんじん

 

爾時衆中有菩薩摩訶薩 名観自在

にじしゅうちゅううぼさまかさ みょうじざい

行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空

ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう

離諸苦厄

りしょくやく

 

即時舎利弗承佛威力

そくじしゃりほつじょうふいりき

合掌恭敬白観自在菩薩摩訶薩言

がっしょうきょうけいびゃくかんじざいぼさまかさげん

善男子 若有欲学甚深般若波羅蜜多行者

ぜんなんし にゃくうよくがくじんじんはんにゃはらみったぎょうじゃ

云何修行 如是問已

うんがしゅぎょう にょぜもんい

 

爾時観自在菩薩摩訶薩告具寿舎利弗言

にじかんじざいぼさまかさこくぐじゅしゃりほつげん

 

舎利子

しゃりし 

若善男子善女人行甚深般若波羅蜜多行時

にゃくぜんなんしぜんにょにんぎょうじんじnはんにゃはらみったぎょうじ

応観五蘊性空

おうかんごうんしょうくう

 

舎利子

しゃりし

色不異空空不異色色即是空空即是色

しきふいくうくうふいしきしきそくぜくうくうそくぜしき 

受想行識亦復如是

じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ

 

舎利子

しゃりし 

是諸法空相

ぜしょほうくうそう 

不生不滅不垢不浄不増不減

ふしょうふめつふくふじょうふぞうふげん

 

是故空中無色 無受想行識

ぜこくうちゅうむしき むじゅそうぎょうしき 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法

むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう

 

無眼界乃至無意識界

むげんかいないしむいしきかい

無無明亦無無明尽

むむみょうやくむむみょうじん 

乃至無老死亦無老死尽

ないしむろうしやくむろうしじん 

無苦集滅道無智亦無得

むくしゅうめつどうむちやくむとく 

 

以無所得故 

いむしょうとくこ 

菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖

ぼだいさったえはんにゃはらみったこしんむけいげむけいげこむうくふ

遠離一切顚倒夢想究竟涅槃

おんりいっさいてんどうむそうくきょうねはん

 

三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提

さんぜしょぶつえはんにゃはらみったことくあのくたらさんみゃくさんぼだい

故知般若波羅蜜多是大神呪

こちはんにゃはらみったぜだいじんしゅ

是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦

ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ のうじょいっさいく

 

真実不虚 故説般若波羅蜜多呪

しんじつふこ こせつはんにゃはらみったしゅ

即説呪曰 

そくせつしゅわつ

 

掲帝 掲帝 波羅掲帝 波羅僧掲帝 菩提薩婆訶

ぎゃてい ぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじはそわか 

 

如是舎利弗

にょぜしゃりほつ

諸菩薩摩訶薩於甚深般若波羅蜜多行

しょぼさまかさおじんじんはんにゃはらみったぎょう

応如是行 如是説已

おうにょぜぎょう にょぜせつい

 

即時世尊従広大甚深三摩地起

そくじせそんじゅうごうだいじんじんさまぢき

讃観自在菩薩摩訶薩言

さんかんじざいぼさまかさげん

善哉善哉

さんざいせんざい

善男子 如是如是 如汝所説

ぜんなんし にょぜにょぜ にょじょうしょせつ

甚深般若波羅蜜多行 応如是行

じんじんはんにゃはらみったぎょう おうにょぜぎょう

如是行時一切如来皆悉随喜

にょぜぎょうじいっさいにょらいかいしつずいき

爾時世尊説是語已

にじせそんくぜごい

 

具寿舎利弗大喜充遍

ぐじゅしゃりほtだいきじゅうへん

観自在菩薩摩訶薩亦大歓喜

かんじざいぼさまかさやくだいかんき

時彼衆会天人阿修羅乾闥婆等聞佛所説皆大歓喜

じひしゅうえてんにあしゅらけんだつばうもんぶしょせつかいだいかんき

信受奉行

しんじゅぶぎょう

般若波羅蜜多心経

はんにゃったはらみしんぎょう

 


以上の紹介内容は、すべて下記より引用しています。

CD付き 般若心経 読む・聞く・書く 単行本

【参考】
『般若心経【読む・聞く・書く】』
法楽寺住職 小松庸祐/西東社

 

画像については、書籍の内容を参考に作成したものです。
それ以外の追加情報については、参照元を個別に記載します。

 


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