以下の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
【参考】
『ダライ・ラマが語る般若心経』
大谷幸三 文/菊池和男 写真/角川書店
画像については、書籍の内容を参考に作成したものです。
それ以外の追加情報については、参照元を個別に記載します。
「ここでは、手元にある長い方の般若心経を翻訳してみたのでご紹介したい。
インドのサンスクリット語学者や宗教家たちの助けで、
一語一語、原点に可能なかぎり忠実に翻訳した。
どうしても日本語にならない言葉などもあるのだが、
これで書かれている内容、スタイルなどは理解していただけると思う。」
<般若波羅蜜多心経>
―このように聞きました。
昔、あるとき、仏陀は僧侶たちの大きな集団と、大勢の菩薩らと共に、
鷲の頂の山のラジグリハにおられました。
そのとき仏陀は、深淵なる大悟というべきものへの、
深い瞑想に沈んで行かれました。
ちょうどそのときまた、聖なる観世音であり、菩薩である聖者も、
深淵なる悟りに到る智慧に依って、
現象の本質が空であり、それを形作る五つのものの集まりも空であると見徹されました。
そこで、祝福されるべきシャリプトラが、仏陀のお力を借り、
聖なる観世音にして菩薩に尋ねました。
悟りに到る智慧の秘儀を受けたいと願う、高いカーストに生まれた息子、
娘らは誰であっても、どのようにして学べばいいのでしょうか、と。
聖なる観世音、菩薩にして聖者は、このように答えられた。
シャリプトラよ、悟りに到る智慧の秘儀の実践を願う、
高いカーストの息子ら娘らは誰であっても、
このように行なうべし。
現象を形作る五つの集積したものをよく見極め、
その存在の本質が空であると見徹すべきである。
形あるものは空であり、空は実に形あるものである。
形あるものは空以外のものではなく、空は形あるもの以外ではない。
形あるものが意味するのは空であり、空が意味するものは形あるものである。
同じように、感じるものも、識別することも、心が作りだすものも、認識も空である。
かくの如く、シャリプトラよ、すべての現象は空を特質とする。
それらは生じず、滅せず、汚れず、清純ではなく、完全ではなく、不完全でもない。
したがって、シャリプトラよ、実に空においては、
形あるもの、感じるもの、識別することも、心が作り出すものも、認識もない。
眼なく、耳なく、鼻なく、舌なく、身なく、心もない。
形なく、音なく、臭いなく、味なく、触れるものもなく、現象もない。
視覚が捉える要素がないのと同様、意識の捉える要素も、現象上の要素も、
認識する要素もない。
知もなく無知もない。どこまでも知や無知が尽きることもない。
老死はなく、不老不死もない。苦はなく、始まりがなければ終わりもなく、
悟りに到る道もない。
叡智もないし、達成することも達成しないこともない。
したがってシャリプトラよ、悟りへの道がない故に、
菩薩らは心に遮るものなくそこに止まり、智慧の波羅蜜多に依るのだ。
心に遮るものがなければ、恐れなく、障碍は克服され、究極の涅槃に到達する。
三度この世に住まわせられるすべての仏陀は、智慧の波羅蜜多に依拠され、
完全にして究極、真性の悟りを得たもう。
したがって、人は知るべきである。般若波羅蜜多が偉大な真言であることを。
究極の真言であることを。他に比肩するものなき真言であることを。
一切の苦を鎮める真言であることを。
般若波羅蜜多の真言は、偽であらざる故に真実なり。
かく唱える。
ガテ ガテ パラガテ パラサンガテ ボディ スヴァハ。
シャリプトラよ、このように、深淵なる悟りに到る叡智は実践すべきである。
そのとき、仏陀は瞑想から目覚めて立ち上がられ、
聖なる観世音にして菩薩に言われました。
よく語ったと。完璧なりと。高いカーストの息子らよ、まさにかくの如しと。
高貴なる息子らよ、まさにかくの如く、深遠なる悟りに到る叡智は実践すべきなりと。
如来ら、阿羅漢らの心も喜びに満ちるであろう。
こう仏陀が言われたとき、祝福されるべきシャリプトラ、聖なる観音菩薩、
全世界の神々、人々、阿修羅ら、乾闥婆らも大歓喜しました。
以上の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
【参考】
『ダライ・ラマが語る般若心経』
大谷幸三 文/菊池和男 写真/角川書店
画像については、書籍の内容を参考に作成したものです。
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