中庸・中道のバランス

更新日:2020/04/20 公開日:2016/08/23

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中庸・中道のバランス【今日の言葉】

中庸・中道のバランスをとる

調和のとれた「程よい」状態でバランスをとることが役立ちます。

 


調和のとれた「程よい」状態でバランスをとる

 

「程よい」状態でバランスをとることは、なぜ役に立つのでしょうか?

 

たとえば、もし、創造の波の軌跡に、自分自身が乗っている状態だとすれば、

波の上下に合わせて、上がったり下がったりを繰り返し、全く安定感を欠くことになります。

 

しかし、「程よい」安定した視点・立ち位置から創造の波を眺める場合は、

波の上下に合わせて、自分が上下することはなく、変らず安定した視点で眺めることが可能です。

 

上がり過ぎず、下がり過ぎない、行き過ぎず、戻り過ぎない、気を張り過ぎず、気を抜き過ぎない、など「程よい」ニュートラルな視点・立ち位置でバランスをとることにより、安定した穏やかな状態を保つことができます。

 

そのような「程よい」状態は動きが無い状態ではありません。調和のとれた「程よい」視点・立ち位置でバランスをとりながら、成長を続けていくという意味です。

 

「程よい」状態を静止状態とイメージすると、呼吸の流れも止まり、生命の自然な流れと切り離されてしまいます。調和のとれた「程よい」状態でバランスをとりながら、生命の流れに乗って、成長を続けることが大切なのです。

 

自分が創った両極端なドラマに取り込まれてしまうことなく、根源の心の安定を感じながら、調和した「程よい」状態をキープしましょう。

 

そうすることで、安定した視点から、様々な立場が観えるようになり、感じられるようになるため、自然にバランスのとれた「程よい」状態を保つことができます。

 

真の穏やかさや、優しさは調和のとれた「程よい」状態でバランスをとることの中にあります。

 

 

2016年8月23日 inner-wish

 


『中庸』とは「偏らず、過不足なく、極端に走らない人間の徳」

 

『中庸』とは、「偏らず、過不足なく、極端に走らない人間の徳」を説明する言葉です。

 

『中庸』は儒教の思想です。

「考え方・行動などが一つの立場に偏らず中立であること。過不足がなく、極端に走らないこと。古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一とされた」(大辞林より)

 

『中庸』という言葉は、『論語』のなかで、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と孔子に賛嘆されたのが文献初出と言われている。それから儒学の伝統的な中心概念として尊重されてきた。だがその論語の後段には、「民に少なくなって久しい」と言われ、この「過不足なく偏りのない」徳は修得者が少ない高度な概念でもある。(Wikipediaより)

 

 

2016年8月23日 inner-wish

 


『中道』とは「両極端に偏らない悟り・涅槃へ至る道」

 

『中道』とは「両極端に偏らない悟り・涅槃へ至る道」を説明する言葉です。

 

『中道』は仏教の思想です。

「仏教の基本的教義の一。両極端に偏らないこと。対立する見解や態度を克服した立場。対立の内容については、快楽主義と苦行主義、自己を永遠とみる常見と死後はないとする断見、有と空、空と仮など、教派によって諸説がある。」(大辞林より)

 

中道の説明については、次の「琴の弦」と「流れる丸太」のたとえ話がとてもわかりやすいと思います。

 

●琴の弦(Wikipediaより)

パーリ語経典の律蔵・犍度・大品(マハーヴァッガ)においては、釈迦が、どんなに精進しても悟りに近づけず焦燥感・絶望感を募らせていたソーナという比丘に対して、琴の弦を例えに出して、中道を説いている。弦は、締め過ぎても、緩め過ぎても、いい音は出ない、程よく締められてこそいい音が出る、比丘の精進もそうあるべきだと釈迦に諭され、ソーナはその通りに精進し、後に悟りに至った。

 

●流れる丸太 (Wikipediaより)

パーリ語経典相応部のある経典では、釈迦が中道をガンガー河に流れる丸太に例えて説いている。

そこでは、釈迦が丸太を比丘(出家修行者)に例え、その流れる丸太が

こちらの岸に流れつかず (六根(六内処)に囚われることなく)

向こう岸に流れつかず (六境(六外処)に囚われることなく)

中流で沈みもせず (悦楽・欲望に囚われることなく)

中州に打ち上げられもせず (自我の妄執に囚われることなく)

人によって持ち去られもせず (社会性・人間関係(付き合い・同情)に囚われることなく)

人でないもの(鬼神)によって持ち去られもせず (神秘主義に囚われることなく)

渦に巻かれることもなく (五感による欲望にまきこまれることなく)

内部から腐敗していくこともない (偽り・欺瞞を隠して生きることがない)

ならば、海(悟り、涅槃)へと到達するであろうと説かれる。

 

 

2016年8月23日 inner-wish

 


自他には全ての要素が存在するという受容と共に

 

中庸・中道とは、極端な全てを拒否する姿勢ではなく、自他は全ての極端になり得る要素を持っていると理解し、受け止めた上で、あえて中庸・中道のバランスを保つよう心がける。極端さを他者に投影し続けるのでは意味がない。私たちは流れる丸太のように色々な状況の中で生きていて、苦しい中でバランスを崩しがちではあるが、そんな時も思い出してバランスを保つよう心がけるのが大切。

 

2020年4月20日 inner-wish

 


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