菜根譚【自己変容の道2】
菜根譚【自己変容の道2】

日常生活・心の本質・宇宙の関連について、中国明代末期の士大夫読書人であった洪自誠の『菜根譚』(吉田公平/著)より引用しています。

 


以下の紹介内容は、すべて下記より引用しています。

【参考】

菜根譚 (タチバナ教養文庫) (日本語) 文庫

吉田 公平(著)・洪 自誠 (著)

 

画像は素材を加工しました。
それ以外の追加情報については、参照元を個別に記載します。

 



【九】

人の寝静まった夜更けに、独り静坐して本心を観ると、妄念が消え失せて、真心がひとりでに現れてくるのがはじめてわかる。いつもこのようにして大いなるはたらきを会得する。真心が現れても、妄念からのがれがたいことを悟ってしまうと、そこでまた大いなる懺悔心を生じる。

 

【一二】

生前の心構えは、のびやかにして、不平を嘆く人がないようにしたい。死後に施す恩恵は、なるべく長く伝えて、人々に乏しい思いをさせないようにしたい。

 

【二〇】

何事にも、ゆとりの気持ちがあれば、造物者も忌み嫌うことはできないし、鬼神も害を加えることはできない。もし、事業にも功名にも必ず満ち足りることを求めたならば、自分自身がおかしくなるか、さもなければ、必ず外から心配ごとを招くだろう。

 

【二一】

家庭には、真の御仏がいるし、日常生活には、真の道士がいる。まごころをもってなごやかにし、にこやかな顔で楽しく語り合って、父母や兄弟の間柄を、お互に形骸のへだてをこえて、気持ちを通じ合うようにさせることができたならば、「呼吸を整える」ことや「本心を内観する」ことよりも、万倍もまさっている。

 

【二三】

他人の悪を責めるとき、あまり厳しすぎてはならない。その人が、受け入れられるかどうかを考える必要がある。人に善いことをさせようとするとき、あまり高すぎてはならない。その人が実行できるようにしなければならない。

 

【三八】

魔性のものを降伏させるには、まず自分自身にうち勝て。自分自身がおさまりきれば、さまざまな悪魔は身をひいていうことをきく。横着なものを制御するには、自分自身を制御せよ。自分自身が平静であれば、外道は侵さない。

 

【四八】

幸せをよぶ人は、日常の生活が安らかで静かであることはいうまでもなく、たとえ夢みる魂までも、和やかである。不幸をよぶ人は、日常の行為があくどいことはいうまでもなく、たとえその声音や笑い声までも、まるで人の心を逆なでする。

 

【六六】

心が光明なのは、暗いへやに青空があるようなものだ。思慮が真暗なのは、白昼に幽鬼が登場するようなものだ。

 

【七一】

幸福は求めてえられるものではない。喜ぶこころを養い育てて、幸福を招く用意をすることだ。災禍は避けて避けられるものではない。殺気だつこころを取り去って、災禍より遠ざかるてだてをすることだ。

 

【七五】

苦しかったり楽しかったりして、練磨して得られた幸福こそ、永続する。疑ったり信じたりして、考えぬいて得られた知識こそ、その知識は本物である。

 

【八二】

人柄は高く広くなければならないが、さりとて現実ばなれしたロマンチストではいけない。心ばえは緻密でなければならないが、さりとてあまり細事にこだわってはいけない。趣味はあっさりした方がよいが、さりとて干からびてはならない。節操は厳しくはっきりしていなければならないが、さりとて過激であってはならない。

 

【八四】

清廉でありながら推量があり、やさしいお人柄でありながら決断力に富み、明察でありながら人のあら探しをせず、正直でありながら過激にならない。このような人物を、砂糖漬けでも甘すぎず、海の物でも塩からすぎないと言い、それでこそ立派な美徳である。

 

【八七】

心が動いたとき、私欲の方に行きそうだと気づいたら、すぐに天理の方へ引き戻せ。心がうごいたらすぐさま気付いて、気付いたらすぐさま改める。これこそ禍を福に転じ、死を生にひるがえす契機である。決して軽くみてなげやりにしてはいけない。

 

【八八】

活動していないおりの思慮が透きとおっていれば、心のほんとうの姿が見える。ひまな時の気持ちがゆったりしていれば、心のほんとうの働きがわかる。淡白な心ばえが深くおだやかでいれば、心のほんとうに味わいが悟れる。本心を観照し、正道を悟には、この三つにまさるものはない。

 

【八九】

活動しない時に心が動揺しないのは、ほんとうの静けさではない。活動している時に動揺せずに冷静にできてこそ、本性の真の境地である。安楽な中での楽しみは、ほんとうの楽しみではない。苦しい中でも楽しくできてこそ、心の真の働きを見ることができる。

 

【九七】

家族のものがしくじった場合、あからさまに怒ってはいけないし、ほったらかしにするのはいけない。じかに言いにくいなら、他のことにことよせていさめよ。その日わからないなら、またの日にくりかえして注意せよ。ちょうど春風が凍土を解かすように、暖気が氷を消すようにしてこそ、はじめて家庭の模範といえよう。

 

【一二四】

気持ちが散漫なときには、呼びさますことをわきまえねばならぬ。気持ちがはりつめているときには、ときほぐくことをわきまえねばならぬ。さもないと、恐らく、散漫という欠点はなおっても、こんどは(緊張のあまり)落ち着かないという心の乱れをひき起こす。

 

【一二五】

晴れた青空も、一変して雷鳴とどろき稲妻光る空となる。はげしいあらしも、一転して、明月輝く晴れた夜空となる。大自然のはたらきは変化して常はないものの、ほんのすこしの滞りである。大空は変化して常はないものの、ほんのすこしのふさがりである。人間の心も、こうありたいものである。 

 

【一五一】

水は波さえ立たなければ自然に静まる。鏡は曇らなければ自然に明るい。だから心は無理に清くすることはない。心を濁らすものを取り去れば、清らかさが自然に現れる。楽しみも必ずしも外に求めなくてもよい。心を苦しめるものを取り去れば、楽しみが自然にそこにある。

 

【一七二】

人間の心はそのまま宇宙と同体である。喜びの心はめでたい星やめでたい雲であり、怒りの心はとどろく雷やはげしい雨である。慈しみの心はのどかな風や甘い露であり、厳しい心は夏の日や秋の霜である。どれも欠くことはできない。ただ、起こっては消えて、からりとしてさわりもないようであれば、それで太虚と同体になる。

 

【一七三】

仕事のないときは、心がぼんやりしがちだから、心を落ち着けて、照らして明らかにするのがよい。仕事をしているときは、心がはやりがちだから、心を明らかにして、落ち着かせるのがよい。

 


この『菜根譚』は心学の書である。

心学の心とは心臓のことではない。人格としての人間を総体として表現したのが「心」である。だから心学とは人間学のことである。仏教が中国に伝播してから使われるようになった概念である。心学は人間学に関する遺産を教学のわくにとらわれるずに活用する。逆にいうと禅心学・朱子心学・陽明心学(良知心学)・三教一致心学(道教心学)など党派性を帯びて標榜されることもあるが、それらの全てを包含したのが広義の心学である。


以上の紹介内容は、すべて下記より引用しています。

【参考】

菜根譚 (タチバナ教養文庫) (日本語) 文庫

吉田 公平(著)・洪 自誠 (著)

 

画像は素材を加工しました。
それ以外の追加情報については、参照元を個別に記載します。

 



関連リンク

心の本質である光について

●心の本質である光について【自己変容の道】

思考と感情が除々に静まり、やがて沈黙し、心の本質へと溶け込んでいくゆくとき、わたしたちは一瞬、心の本質を、明知(リクパ)そのものを、原初の状態を、かいま見ることがある。

詳しくはコチラ>

 

●「存在」と日常生活【自己変容の道2】

宇宙法について考察したときに説明したように、心が「存在」の領域に到達すると、心は自然にすべての自然法則のリズムに調和し、宇宙的な進化の過程に合流するのです。

詳しくはコチラ>

 

落ち着く【役立つ情報】
落ち着く【役立つ情報】

●落ち着く【役立つ情報】

落ち着くことに関する役立つ情報を紹介しています。状況に応じて役立つ方法や情報が見つかりますように。

詳しくはコチラ>

 



☆スポンサー広告☆



メニュー